朝焼けに檸檬

アラサー。創作をしています。不定期更新です

『よだかの星』考

宮沢賢治よだかの星』について
独断につき批判はご遠慮願います。

 

善人に対して世は冷淡というわけではない。たとえばよだかのように、自身の自己肯定感が低く、容姿も侮りやすく、自分よりも格下と決めつけやすい「弱者」であれば、人は簡単に差別する。

 

何も能動的に悪いことをしなくても、嘲ったり傍観を決め込んだり、そうしていることも良いことではない。

 

よだかの中で話し相手に出てくるのはかわせみの弟くらいで、それも理解者がどうかははっきりしない。かわせみはただ己の寂しさだけを述べている。もちろん会話は救いになり得る。しかし、彼の苦悩を解消する手立ては無いに等しかった。

 

太陽、星とお願いに回るシーンも印象的である。自然界で地位あるものへの願いは、しょせんただの一介の鳥では叶えられない。これもまた涙を誘う。

 

たらい回しにされ、無視されるかなじられるか、いずれにせよ非建設的な時間を過ごす。

種族にも自然界を牛耳る権力層にも見放され、そうした中で最期のシーンへと続く。

 

あがく。もがく。朽ち果てようとも。
ただの鳥でも、道を切り開こうとすれば開ける。その身を主張することができる。大空に燦然と輝く一部に。


決死の覚悟で向かえば、立ち向かえる。個人でも闘える。死を背に腹をくくって生きる。そうすれば、全力を尽くす先に得られる素晴らしいものがある。

 

宮沢賢治がそんなことを意識して書いたかどうかはわからないが、僕はこの話に「もがき苦しみ迷いながらも、最善を尽くす情熱」を感じる。


何度断られても、くじけかけても、最後の全力まで努力を重ねればきっと報われる。それは、彼自身がどこかで感じていた自身の創作に関する姿勢のようにも思われる。

雨降りには紫陽花を添えて

学校帰り、何でもない会話をしながら、6月11日17時5分というこの時間を忘れないでおこうと思った。片付けとか面倒なことは嫌がってしない私が、写真の共有サイトや地域の噂話コミュニティや、本当か嘘かわからないものまで頼って調べて、やっと場所を決めた。

 カフェに行ったあとは、オシャレな雑貨屋さんに寄って、オソロのヘアピン買うのはどうだろう。プリクラはやっぱ定番かもしれないけど、写真が嫌いだって言ってたからやめといたほうがいいかもしれない。私はオソロもプリクラもしたいけど、彼氏が嫌がることはしたくない。

 ハツカレ。私、彼氏できちゃったんだよ。腕組もうとしたらはしたないって怒られるし、手も恥ずかしいって繋いでもらえないけど、でも、ちゃんと彼氏。周りのみんなに自慢したくなる。長い黒髪に自然と上向きにカールしたまつ毛、人形みたいに白い肌に、桜色の唇。私にない色んなものを持っている素敵な彼氏。

 

「マキちゃん。マキちゃんは物語の主人公になれるとしたら、何になりたい」

 

 じっと聞いていたくなるくらい高くてかわいい声。子鹿が楽しそうに飛び跳ねてるみたい。

 

「私、お姫さまがいいな。真っ白のドレス着て、素敵なお城に住むの」

 

 やたらとでかくて何の膨らみもなくて、声も低くて怖そうなうえに、目つきもそんなに良くない。おばけみたいって言われて泣いたこともある。そんな私はお姫さまになりたくて仕方ない。

 

「想像するだけでとても素敵だよ。いつか、そんな写真撮ろうね」

 

 「ユキちゃんは、白のタキシードか燕尾服か、何でもユキちゃんが着たいの着て隣にいてね」

 

 僕はカメラマンでいいよ、と笑う私よりも30センチ低い、私がなりたくてたまらないお姫さまみたいにかわいいユキちゃんは、かっこいい王子さまになりたくて仕方がない。私たちはとってもあべこべ。もしも逆転できたなら幸せだったのかもしれないけど、こうして出会えたから今の姿も悪くないと思える。

 路地を抜けたら、カフェが見える。今までの梅雨は雨ばかりで憂うつな気持ちになっていた。今は並んで歩くだけでどこにいても晴れ晴れしい。おまけに今日は初めてのデート。ただ、どうしても私の気持ちはデートの計画があんまりすぎて、もしかして嫌われてしまったらなんて暗いほうへいってしまいそうになっては、現実に戻されている。着いてから席についても私はそわそわと落ち着かない気持ちでいた。

 

「大丈夫だよ、マキちゃん。僕も今日がとても楽しみだったし、なかなか眠れなかったし、おまけにさっきから手が震えてる。情けないね」

 

にこやかに笑ってくれるユキちゃんは頼もしく、店内に漂う甘い香りを嗅ぐ余裕が出てきた。

 

「季節限定のあじさいパフェ食べたい。」

 

 調べたときから、大好きな紫色の寒天とマーブルチョコアイスをうずまき状にしてかたつむり風に見立てたのが素敵だと気になっていたのだ。あと期間限定とつくとついつい頼んでしまうから、期間限定は本当にずるい作戦だと思う。

 

「僕は、えっと、無難にホットコーヒー、いや、こっちのエスプレッソ、やっぱりアフォガート、待てよ、店員おすすめの日替わりドリップコーヒーとやらも」

 

 お弁当のおかず交換で迷うユキちゃんは、想像した以上にメニューで迷っていて怒られるから言わないけどかわいかった。結局私のどちらにしようかなでアフォガートに決まり、外に目をやる。

 

「この後、どうする」

「今日のデートは全部、マキちゃんの好きなところに行こう。マキちゃんの好きなもの、もっと知っていきたい」

 

 ちょっと私の彼氏、かっこよすぎませんか。

なおしほし

お題箱から。

貝殻を集めるのが好きな男の子と星を集めたいと言う男の子のちょっと不思議な話

 

貝から音がすると言う。波の音じゃなくて、砂のこぼれる音でもない。僕の聞き間違いでも、おぼえ間違いでもなければ確かにこう言った。

「星の音がするんだ」

星に音があるのだろうか。遠い空の向うにある星たちは今も軽い明滅を繰り返すばかりで、長い筒を通して見ても、それが高価で性能の良いものでも、やはり音は聞こえなかった。

親の財布をかなり涼しくさせた立派な天体望遠鏡から視線を降ろすと、途端あまりきれいではない景色が見える。それでも静かな点はたいそう気に入っている。相変わらず夜遅くまで働いているスーツ姿の人たちが歩いているばかりで、車道と少し離れているからエンジン音はしない。外の音を聞き取るよりも、部屋の空調音のほうが鮮明に聞こえてくる。

もう一度空を見上げて思い返したのは、最近教わった理科の授業だ。今見ている空よりもさらに遠い宇宙という空間に音はなかった、とか言ってた。だから星に音なんて存在しない。

いつからだったか、星を眺めるのが好きだった。風の強い日や雪の降るほど寒い日でもベランダに出て、何時間でも空を眺められた。夜の闇に包まれていると、安心して呼吸できる気がした。昼はいやに明るすぎて、学校は最低限しか通えていない。

学校そのものがいやなわけではないと思う。行ったらみんな優しくしてくれるし、勉強もわからないわけではない。ただ朝日が昇る頃になると休みの日も平日も関係なく気分が塞ぎ込んでしまって、頭やらお腹やらの不調を訴えた。最初は心配をしていた母親も、次第にめんどくさそうに電話をするようになった。

病院に連れて行かれたこともあったけれど、とにかく僕は毎日学校に行くつもりがなかった。僕はココロのビョーキならしい。ビョーキのつもりはないけれど、医者がそう言ったのだ。よくわからないがおかげで僕は真面目に学校に通わなくてもよくなった。

さっき開封したばかりの封筒には、また貝が入っていた。気まぐれに学校からの配布物を届けてくれる恭平のお土産だ。恭平はなぜか貝ばかり入れてくる。休みの日は自転車で遠い町にある海まで出かけて、よく貝を拾ってくるそうだ。いつか僕だけの貝を見つけるための研究だと言っていた。僕もいつか自分の星を発見したいと毎日天体観測しているから少し似ている。僕らは全然違う性格だけれど、ちょっと似ているところがあるから友だちだ。

1度だけ、2人でこっそり抜け出して、夜の海に出かけたことがある。星空みたいに波間が輝いて月が映っていて、まるで時間が止まってしまったみたいだった。海は遠いしかなり疲れるけれど、また行ってみたい。

昼はもっときれいだと恭平はうるさく言ってくる。僕はいやだと言って聞かないから、いつもこの話はケンカのきっかけになる。まぁ、いつか、気が向いたら行ってやらんこともない。

貝に耳をあててみる。薄黄色で中途半端に巻いた貝がらからはやっぱり空調の音しかしない。と思っていると、ふいに高い、連続した音楽らしきものが聞こえたような気がした。笛のようなオルゴールのような、いや、僕の知らない楽器の音だ。何度あてても同じ音がする。

恭平も同じ音が聞こえるだろうか。これはもしかするとそのうち星になる貝かもしれない。大発見だ。なら、これは「なおしほし」。僕の星にしよう。

僕という人

ジェンダーのツイートやアンケートをきっかけに、改めて僕について考えていた。ツイートに収まる気がしなくて、でも書いておきたかったから、書いていく。

結論だけ言うと、わからない。まだ僕を探してる。

 

僕という人間をそれなりにこねくり回してやってきたのだが、よくわからないままでいる。僕のほんとうは何か。

 

身体として性別はある。

精神としての性別は、たぶん両方ある。どちらかでいたい時間が交互に訪れる。

 

外見上の問題さえなければ、僕は性別と反対の道を進みたいと思っている。

それも、かなり長いこと思っている。ちょうど初めて中2を迎えた頃は、強く自覚した。

 

似合わない服を着て、似合わないものを置き、手の届かない高価な、僕の思い描く大人が身につけそうなものに憧れた。

 

一方で、今の性別で生きていることが自分の外見にとって有利だという判断をしていた。

その考えを肯定するかのように、外見はますます僕の精神にそぐわないほうへと成長を遂げた。

だから、性別の違和感を口にしたことや、違和の解消を行動に移したことはなかった。

 

今も表立って口にしない。この身体はどう考えても、今ある性別を有利に生きることができる身体である。身体そのものへの不満はない。

 

そして、性的趣向がどうかと聞かれると、異性愛者だと思う。

だと思うというくらい、僕にとって「どうでもいい」ことだ。好きだと言われさえすれば受け入れられるいい加減さがある。

 

肉体的なつながりは、あればいいし、なくても困らない。と最近気づいた。

 

どうでもいいを訳すと、何でもいいになる。今まで好きな人と恋愛をしてきたかと言われたらたぶん好きだったろうし、全然そうでもなかったかもしれない。

 

深い人間関係を続けていく自信があまりない。自信がないというより、その気力が続かない、という方があっている。

 

おそらく僕は、僕を愛しすぎて、他人に興味が持てない。僕以上に興味深い人間がいない。

 

優しいと言われるし、嫌われたくないと振る舞う自分もいる。でも結局僕が一番大切な人だ。

 

人並みの幸せは欲しい。喉から手が出るほどに。たぶん。

 

どうして僕には結婚だとか、長く付き合える相手だとか、そういう存在がないのか。

 

周りから早く結婚しそうだとか、恋人には不自由しないだろうとか言われてきた。

 

ほんとうにそうだろうか。お前は1人でもやっていけてるじゃないか。

 

そう。事実、今が楽しい。寂しくない。困らない。じゃあ一生このままか。

 

ということは僕を生涯溺愛することができるという寸法だ。孤独で閉じた世界。

 

僕の書くものは、僕の好きな世界。

「読んでどう思って欲しいの?」の答えは、「あなたの思うままにどうぞ」。

 

お口に合うならどうぞご贔屓に。

『我が生活』、『散歩生活』考

中原中也『我が生活』『散歩生活』について。私論。

 

どこへ行くにも切手の綴りをたくさん持って、筆まめ、お昼から夜中までよく歩く。それが中原中也という人である。

『我が生活』の頃、彼は恋人と別れる。「私はほんとに馬鹿だつたかもしれない」から始まるその文章は軽やかで、どこか他人のことのように、大した傷ではないのだとでも言いたげに進められる。彼の熱と、冷静とが交互に描かれており、「とも角、私は口惜しかった!」などの率直な深い後悔の後は、彼女への冷静な分析をしてみるなど、思慮深さがうかがえる。詩ではないのにリズムがあって、独特の間があって、読んでいる側は急に胸ぐらを掴まれたり、さめざめと泣かれたり、そんなことを彼にされているような錯覚に陥る。

 

ここに、中也がいるのだ。

ホラ、ホラ、ごらんよ。

「口惜しい人」、「大東京の真中で、一人にされた」これが、僕だ!

 

対して、『散歩生活』はその出来事から数年を経てどこか熱の落ち着きが感じられる。異国の登場人物を出し「彼も寂しさう」と自らの寂しさを表現する。

胸ぐらを掴まれるような憤りのない一方で、虚空を見つめるような無力感とけだるげな様子がある。それでも毎日毎日、ただ歩き、歩く速さで思考を巡らし、詩作にふける。

途中、自分には教養が足りないのだというような主旨の話を自虐的に触れながらも、他の文学作品を引き合いに出すところもあり、「スランプ」ながら決して当てずっぽうに、行き当たりばったりで書かれたものではないことがわかる。

 

ただ、彼は、別に技巧を凝らさずとも、歩いて言葉を浮かべ、自然と詩になる、そういう感性の持ち主だったのではないだろうかと考えている。自分の頭の中で繰り返し繰り返し口ずさみ、言葉をまとめていくのだろう。

だから座って原稿用紙に書いたり削ったりしていると、そのうち別の思考を始めてしまい、まとまらずに混乱してしまうのではないだろうか。

 

悲壮な心境を書くこの2つの随筆もまた、詩ではないながら彼が迫ってくるような、一定のリズムがある。口ずさみこそしないが、印象に残るフレーズを繰り返し繰り返し詩のように使っている。それはおそらく彼の中で繰り返し流れてきた悲しみの表現をする大切な言葉たちだ。

 

こうして彼の内面に寄り添ってみると、彼の詩がまた違った一面を見せたような気がした。

どちらも短く、青空文庫で読めます。

よろしければどうぞ。

『魔術考』

芥川龍之介『魔術』感想

ネタバレ含む

 

 

欲とは手強いもので、人は一生のうちに欲から離れることなどないのだと思う。

したいこともしたくないこともすべて欲であり、感情を無意識に無にしない限り、なくなることはない。

結局人間という者は実に欲にまみれた存在で、汚く薄汚い。

己もまたそのような汚らわしい一員に過ぎないと主張をしたかったのか、はたまたミスラのような欲を切り捨てた仙人のような聖性を持つ人間を描き、自分もかくありたいという理想を描いたのか。

だが、ミスラにそこまで聖性があるかと問われると、「親切そう」な彼と「気味の悪い微笑」をする彼とがいるので、不完全なものである。

一定以上の位置にたどり着きたければ、あるいは、なんらかの才能を開花させたければ、常人では考えもつかぬような無欲の精神がなければならないという、芸術への理想論なのだろうか。

嫌々カルタを始めた私が、いよいよ最後の瞬間で勝利の欲に目覚め、とうとう金品を手にしそうになる。欲に負けた人間のはしたなさが生々しく描かれていて、芥川作品には、随所にこうした細かい変化を手短かかつ無駄なく書くことのできているよさがあると思う。

欲にも色々あるが、描かれているのは金である。金というのは厄介なもので、あって困るものではない。あればあるだけ嬉しく、ないと困るものである。自身の金品の絡まないところまではまだ許容範囲だとしても、にわかに自分の範囲が侵されそうになると、途端に欲は生まれる。一定を越えない限り、金と無縁でいられない人間の悲しさがある。

僕は彼の書く世界が好きだ。救いのなさそうに見える世界も、目をつぶって走り去りたくなるくらいの暗い世界も、児童向けに書かれた、真っ暗闇ではないが晴天とも言えない曇天まじりの、少し説教くさい世界も、すべて。

彼の話の中に、明るくて空想ばかりのエンターテイメントのような小説はない。無自覚なのと、自覚があるのと両方あるが、いつも誰かが悩んでいたり、苦しんでいたりするような気がする。だから、そうしたものを書こうともしたのだろうか、とも考えてしまう。そして、書こうとした結果、残念ながらそうはならなかった。

 

いや、あるいは、彼なりの新しいお話を模索したのかもしれない。彼は子どもたちに新しい世界を確かに魅せた。

なんでもできる不思議なおじさんか、お兄さんか(僕は勝手に中年と空想をしている。サンタ的なものとして仮定をしてしまうから)は、異国の人でなければならない。子どもが読んで、どこか現実から離れていないとならないからだ。

不思議な人は

 

「欲があっては不思議な魔法は使えないよ」

 

という。

 

「僕、私ならできるよ」

 

子どもたちは声を揃えて明るく、そういうかもしれない。

 

「じゃあ、魔法を教えてあげるね」

 

それはたとえば、魔法という名の「ペットを飼う」かもしれないし、「新しく手に入れる遊び道具」かもしれない。

本当に君はそれを大切にできるかな。優しいまなざしで、彼は問いかける。きっと彼は「魔法」を与える前に与えられる子どもたちに考えてほしいのだろう。

際限なく与えるのは愛でも優しさでもない。怠慢である。よく考えて、それでもなお欲しいと思ったものを、大切に扱ってほしい。願わくば、自身の作品もそのように、よく考える材料のひとつとして、折に触れて再読をしてほしい。

もしかすると、そんな気持ちもあったのではないだろうか。

或る女

これが最後だからと渡された茶封筒には、皺だらけの一万円札が入っていた。額はいつも通りながら、本当にこれが最後と念を押されたことに顔をしかめ、礼もそこそこに立ち去りながら、女は金の使い道を考えて歩く。馴染みの居酒屋で溶かすもひとつ、上等の鞄に変えるもひとつ、久しぶりねと男に貢ぐもひとつ。

そこまで考えてくしゃみをひとつし、あまりに寒いからとりあえず何処か手近な喫茶店で珈琲一杯、暖を取らなければ思考もまとまらないと独り言を言い、歩みを進める。

昼下がり、お昼どきのピークは超えて少し席にゆとりのある店内は心地よく、いつものタバコも美味しく感じる。珈琲とタバコとを吸っている間は、思考もまとまり穏やかに微笑むことができる気がした。貧乏くさいと思いながらも、もみ消すときに手が火傷しそうなギリギリまで吸ってしまう。灰をなるべく机に落とさないよう、執拗に灰皿へと運ぶさまから、女の潔癖なところも滲み出ている。

珈琲を飲み終わってしまってからもしばらく爪をいじったり、枝毛をむしったり、せわしなく手を動かしていると、不意に目の前が暗くなる。

 

「奇遇だね。こんなところで出会うなんて」

 

さて、名はなんと言ったか、しばらく考えても全く出てこない。酒灼けした喉を震わせ、しばらく歓談しつつ、あわよくば会計を任せてやろうと目論んで(だって節約は大事だってよく言われるからサ)いると、出会った女は目論見通り会計を支払ってくれた。幸先がいい。ただ、「また今度ね」という乗り気しない口約束と引き換えではあったが、お互いの常、反故にしてもさして不都合はあるまい。

女と別れ、さも用事があるよう演じて駅までやってきたが、間近なイベントへの浮き足立った雰囲気にどうも耐えかねる。元来派手好みで、決してイベントに対してネガティブな印象はない。ただ、過ごしたいと思える相手がいないという事実が女を予想以上に苦しめた。

 何のために生きてきたのか、どうしてここに存在しているのか、苦しいと自覚しだすと息苦しく、やけに走って適当な番号にかけ、遊び相手を探し出す。幸い、電話帳は充実している。その場限りなど虚しいだけなのに、わかっていながら他の手段を考えられないでいた。

 

「あ、あたしあたし。今駅にいるんだけど、そうそう。急なんだけど会いたい」

 

何人もの別に会いたくもない、名前も顔もはっきりしない人たちに、猫撫で声を出している。不安や焦燥や喪失や何もかもの嫌なものをないまぜにして、火を付ける。

 

「禁煙ですよ、ここ」

 

善意ある一般市民が、自分の正義感をふりかざす。あなたはここにいるべきではありませんよ、そう言われた気がして、不意に涙が溢れそうになった。

会釈ひとつし、その場を去る。予定はまだない。