朝焼けに檸檬

アラサー。創作をしています。不定期更新です

熱帯魚

「コノコハモウダメネ」

 

ガラス越しに歪んだ、無機質な口の動き。気まぐれに変えられる水と、同じように飼い主の気分で供給されるエサと、人工の空気とで生かされている。こうも他人に人生を委ねる他ない生物になるとは、思いもよらなかった。信仰深くなかったが、前世の報いという五文字で片付けきれない複雑な思いがよぎる。

ルームメイトは社会で生きていた頃とさしあたって変化なく、食に走る者、他人を誹謗中傷する者、美を追求する者など、多種多様に富んでいた。こうした過去形で語らねばならないのが惜しいし、ガラスの向こう側から見れば無個性で統一性のある顔を見せているだけだろう。

先だってすくいあげられた者は僕たちにしか聞こえない断末魔をあげ、悲しげな顔をして地上へと旅立った。寿命だったかはわからない。運悪くすくいあげられただけだ。自分には前世の記憶があり、高層ビルに住む富豪だったのだとか、どこそこの偉い人と食事をしたことがあるだとか、そういうことをしきりに話していた。彼だか彼女だか忘れてしまったが、いずれにせよ前世でいくら資産があろうとも、こうして観賞用として飼われている分際になってしまえば、何の意味もなくなってしまう。

僕がどういう人間だったのか、僕と言っているが男だったのか女だったのか、詳細な記憶はないような気がする。得体の知れない茶色の粒も、こんな身の上になればご馳走だし、何粒かを食べてしまえば満たされる。僕は確か甘いものを好んで食べていたが、仮に今ショートケーキを出されたところで、美味しいと感じることはできないだろう。

いつだったか、潔癖なところのある者が、水槽が汚れて始めたとき、しきりに水槽をつついて、口先に血がにじみ出すのも構わず掃除しろとわめいたことがあった。当然飼い主が意図を理解することはなく、くしくも傷口から病気にかかったそいつが死んだ後処理のため、水槽がきれいに掃除された。

世界は常に強者のために存在する。平凡に生きようともこうして生き残ったという事実だけで、水槽の中の強者となれる。強者のみが快適な生活を送ることができる。一時的でも先が見えずとも、かりそめの快楽に身を任せることは好ましい。しかし、果たして意味があるだろうか。狭い世界でおごり高ぶり、それが本当の快楽だろうか。僕は自身に問う。

そう思えば僕は人間の頃、似たような出来事に頭を悩ませていた。安易な快楽の代償で窮地に陥り、身勝手な言い分をぶつけて保身に走り、結局は自身を傷つけ、自ら命を絶った。

結局転生も輪廻も、人間の都合のいいように徳を積めば良い人生に変わると解釈されているに過ぎない。本質はどのような姿になれども変わらない。僕はきっとまた何度でも同じ過ちを繰り返す。

 

「コノコハモウダメネ」

 

あれはいつか本で見た、蜘蛛の糸に違いない。お釈迦様が導く、天界へと続く道だ。昼に誰かが導かれたばかりなのに、また網の上に乗せられ、1匹が去っていく。理不尽な数々の試練に耐え、生き残りあがくのは、まだ今生への未練があって転生もできぬ者たちだ。往生際の悪い僕たちは誰かに命令されたわけでもないのに今日も泳ぐ。誰かの掌なのか、水の中なのか、それにさして違いがないことを君は知っているに違いない。

その笑顔が見たい

息をつく間もなく、次の仕事に取りかかる。古くさいハンコ至上主義にのっとった書類の束は減ることなく、気分と反比例に、山は登りがいのありそうな高さへと日々記録を更新している。この調子で進めると、残業時間の更新も行えそうだ。

そう言いながらも、好きで始めた仕事だし、しんどいと言いながらも長年勤めて成果もそれなりに出ていて、仕事を辞めたいと思ったことはない。不満はあるけど大きな悩みごとまで発展しないから天職なのだろうし、きっと生まれ変わったとしてもまた、この仕事をしているだろう自分が想像できる。

もちろん、長時間労働がよくないとは常々感じているし、妻からの指摘も身に染みてはいる。2ヶ月近く新商品として陳列されている食べ飽きたコンビニおにぎりの封を解きなごら、先日読んだばかりのビジネス書を思い返す。効率の良い、という帯の文字に惹かれ買ったものの、実践して効いた項目はなかった。買った本を片手にこのように改善しようとはしているのだから、頭ごなしの批判ばかりはやめてほしいと、僕は今日もまた言い訳をするのだろう。

どこまで進んでると確認してくる上司の目も睡眠不足で虚ろだ。飲み飽きた栄養剤の瓶が転がり、あくびが絶えない。あくびはうつらないらしいが、空気というか、雰囲気と呼ぶべきかは伝染していくものではないだろうか。形容しきれないよどんだ重苦しいものが一帯に沈んでいる。可視化できるならおそらく先の見えないくらいの黒に覆われたオフィスだと断言できる。これぞブラック企業。いや、そんなマイナス発言はやめておこう。

視線は自然とデスクに貼った子どもの落書きや、写真にいく。少し前まで地面をはいずり回っていたわが子は、今や首もすわりつかまり立ちくらいはするようになってきた。休み時間を狙ってかけてきてくれたテレビ電話では、元気な姿ではしゃいでいて、帰宅が恋しく思われるほどだった。

残念ながらほとんどの場合、帰宅すれば寝入っていて、わずかな物音で目覚めて夜泣きするかもしれないからと、ふすまを開けることも叶わない。僕が会えるのは疲れた顔をしている妻だけだ。

目にクマをこしらえた妻への家族サービスとして、休日は僕なりに子育てに従事するのだが、足りなかったり、妻の意図していた子育てとは違っていたりすることも多いらしい。僕にも妻にもちっとも余裕なんてなくて、子どもの前とわかっていながらつい、きつい口調で言い合いをしてしまう日もある。

結婚に対して、当初思い描いていた通りの希望は潰れてしまったしれない。酒を飲めば後輩たちに、まだまだ独身を謳歌しなさいと肩を叩くし、家庭のグチは言い出せば止まらない。でもなお、家には帰りたくなる。

今は亡き父親も似たような心境になったのだろうか。酒を飲み交わしながら赤ら顔を突き合わせ、尋ねてみたい気もする。

どちらかといえば家庭を顧みない父親だったし、思い出も少ない。家族旅行に行けば気分で行き先変更するし、酔い潰れて帰ってくる姿を見てばかりでお世辞にもかっこいいと思ったことはなかった。顔を合わせると仏頂面で尋ねてくるのは勉強や健康のどちらかだったのは、話題に困った父なりのコミュニケーションだったようだと、今なら推測もできるようになった。そして、母親の小言に耳をふさぎ続けてきた長い反抗期の終わりは、父の死という悲しいきっかけだった。

ようやく終わりが見えだし、視線は部下に頼んだ紙袋にいく。かわいがっている欲目もあるだろうがなかなかに気の利く奴で、妻が好みそうなものを買ってきてくれた。

このままの調子なら、今夜は日付の変わるギリギリには帰れそうだ。どんな顔をするだろうとか、目を輝かせてくれるだろうかとか、期待や不安がよぎる。そろそろ一報を入れておかなければとジャケットを探っていると、

 

「しゃあねぇな。んな、たるんだ顔してたら周りの士気も下がる。帰れ帰れ」

 

優しい上司のありがたいお言葉を頂戴した。礼の言葉もそこそこに足取り軽く踏み出す一歩。思い浮かぶはわが子や妻。家路までの1時間。はやる気持ちに今の一心。

その笑顔が見たい。

豆乳生活

やめてみた。たくさんのことをやめてみた。

 

まず、服にこだわることをやめてみた。毎日似たような無地のものを繰り返し着ている。古くなればまた似たようなのを買えばいい。考えなくていいから便利になった。

 

次に、体に悪そうなものを食べるのをやめたみた。炭酸やファストフードなど、思い返せばずっと、僕は身体を労わることを怠ってきた。それから、とりあえず色々含まれていないものを摂取するように心がけている。効能はさほど実感がないが、大幅に崩していないところを考えると正しいことをしている気になる。

 

そして、仕事をやめてみた。理不尽な欲求や、高圧的な暴言に耐える必要がなくなった。日がな、目が覚めた時間に起き、眠くなると寝ている。外に出ることもあるが、最低限で突発すべきこともない。

 

元々、ものを少なく暮らしてきた。家にいる時間が長くなるほど、いかに僕はものに囲まれて暮らしていたかを実感した。そして、いかに必要のないものが多いかを学び、すぐにものを持つことをやめる生活を始めてみた。

 

すぐにテレビがなくなった。最初は、寂しさを紛らわす貴重な手段の一つだった。しかし、次第に一方的な情報を垂れ流されるのが、不愉快になった。向こう側の貼り付けたような上機嫌に僕が、ついていけなくなったのかもしれない。

 

ありとあらゆる、いわゆる暇つぶしの嗜好品的役割を果たす、電化製品が消えていった。鍋と、必要最低限の食器と、衣服と、布団。布団がなくなれば、大きめの旅行鞄に全てが収まってしまうくらい、ものが少なくなった。

 

重いものを持たなくなった。負担がかかればしんどくなってしまう。しんどいことはやめるべきだと、仕事をやめたときに学んだ。気晴らしに出かけた図書館で読んだ本にも、好きなことをしなさいと書いていた。時間ができてから、僕は活字と触れる機会が多くなった。読書家というほどではないが、本は増えている。

 

今僕は、僕のために生きている。だから、人に連絡することがなくなった。一人で生きていくことは、最初こそ寂しさを感じたが、慣れてしまえば楽だった。僕は僕の機嫌と調子で、僕の声を聞いて行動すればそれでいい。

 

僕と向き合えば向き合うほどに、僕がいかにわがままな人間だったのかを思い知らされた。優柔不断で、1日のうちに予定変更を何度もしてしまう。どうりで人間関係にほころびが出やすいはずである。僕のような人間は、これ以上他人と関わりあうべきではない。関わるのをやめたのは実に英断であった。

 

さて、もし僕が、僕であることをやめたら、どうなるだろうか。僕が僕でなくなることは、ひどくたやすいことのように思う。やめていくことに慣れてしまえば、抵抗がなくなる。とうにやめてしまったコーヒーの代わりに、豆乳を飲みながら思考する。豆は身体にいいらしい。そのせいか、病気をしなくなった。僕の肌は誰にも見られることなく、どんどん白さを増す。目新しさもない代わりに、落ち込みもない。

 

自分本位に生きることは、素晴らしいようで虚しい。世界の終わりが今日でも明日でも、構わないとさえ願う。苦しみも悲しみもない代償に、僕は他の感情すら薄らいでいきつつある。この豆乳が、水道水でいいと変化し、衰退した暁には、僕は僕でいることをやめられるだろう。

 

さようなら、みなさま。ありがとう、世界。まだ残る感情を、今ここに、記しておくことにした。僕のような人が、増えないように祈りを込めて。

路地裏の木漏れ日

「それ、絶対伝わってないよ。いいの」

 

絶対のぜがずぇに聞こえるくらい目一杯引き伸ばされて、それがおかしく笑ってしまう。僕のことを思っているという彼女の身勝手な慈善によって、僕は話せば話すほど悲劇の役者になっていく。

もし僕が泣いて喚いていたら、駄々をこねたら、未来が変わったんだろうか。

 

日の差し込んでやや暑いカフェのカウンター席で汗をかいたアイスコーヒーは薄くなり、もはや二層になっていた。かき混ぜてすするそれはもはやコーヒーの香りだけが残る水で、一口飲んでそのまま元の場所へと返す。かといっておかわりを頼むほどの金銭的余裕はなく、こんな貧乏のヒモだから追い出されるのだと、にわかに悲しさがこみ上げてきた。

 

「ね、いいバイト教えてあげよっか」

 

「断る。僕は高等遊民を貫くんだ」

 

そう。いわゆる意識高い系のヒモだった僕は、彼女の転勤と共に捨てられた。

 

「君かわいいから、またすぐに相手見つかるよ」

 

シャツから覗く胸元のほくろを見せつけるように、最後のキスを済ませた後は、もう何の未練もないのか振り返りもせず去っていった。

 

「今度は本気で付いて行く気だったし、僕だって向こうでちゃんと働くつもりしてたんだ」

 

「もうかわいいって歳でもないもんね」

 

痛いところを突いてくる。かわいい年上キラーにも年齢というどうしようもない壁は忍び寄ってくるもので、おかげで僕は捨てられてからかれこれ二カ月友人の家を順々に居候し続けていた。もう限界である。

別に相手がいなかったわけではない。でも、違うのだ。うまく説明できないが、僕の直感が違うと言い、純粋にご飯をご馳走になった後はそのまま帰宅している。

 

「万能主夫は、もう用済みなのかな」

 

ありとあらゆるアプリや掲示板を駆使したり、ヒモを好みそうな女の好きそうなカフェやバーで物憂げに座ってみたり、努力は欠かさずにしてきた。でも何にせよ、違うのだ。努力の方向性が違う。どうしてか、気持ちがすっきりとせず、何をしていても落ち着かない。

 

「諦めてバイトしなよ。私んとこのバイト先、結構女の子多いし」

 

女の子多い少ないの問題でなく、ヒモを養えるかどうかの経済力が問題なので、たかがチェーンの居酒屋バイトごときではヒモ養いを期待できそうにもない上に、労働をやむなくするにしても重いものを持ち運びも、夜遅くまで大声を出すのも、いずれも絶対にしたくない。1番の問題は、

 

「うん数年の空白期間をどう説明したらいい」

 

履歴書の書き方すら忘れてしまって、先日仕方なしに出向いたハロワでは失笑を買った。いや、就職だとか、働くだとか、それがしたくないのではない。

隣に、いつも隣にいて当たり前だったあの笑顔がなくて、それでへこんでいる。今までわがままに振る舞い、ときにはこちらから出ていくこともあり、人そのものを財布としてしか見ていなかった。僕のしたい生活を叶えてくれる理想の人を求めていたはずだった。

 

「語学留学してたとか」

 

趣味で旅行はするが、いつも通訳してくれるのも金を出すのも相手だ。いかに自分が恵まれた環境で暮らしていたか思い出される。

あれから趣味だと思っていたひとり旅もしてみたが、物足りなく、住んでるときはあった不満の一つや二つすら、思い出になってしまえばいとしさしかなかった。

 

「もういっそ転勤先追いかけちゃえば」

 

渋い顔をし続ける僕にとうとう呆れ、投げやりなアドバイスをもらう。木漏れ日が揺らぎ、希望が満ちる。

 

「ありがとう、行ってみるわ」

 

僕の主義、誤魔化さずに砕けるしかない。本当に好きだから、本当に一緒にいたいから、もうヒモじゃなくていいから、僕も働いて頑張るから、目が覚めたんだ。もう、他の人なんて考えられない。

だから、会いに行っていいですか。

 

 

 

 

水中花籠

水泡が消えた。それですべてだった。

 

涼しげな目元をしていた。音もなく笑う人だった。昼飯は欠かさず汁物を買う人で、箸をつけるのは汁物からという自己の流儀があった。箸が必要以上に汚れないための食べ方らしかった。背筋をピンと伸ばして食べる姿も、歩く姿も美しかった。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、とはまさしくあの人に当てはまる言葉だった。

 

一挙一動に見惚れた。白くてもあの人が黒だと言えば黒だった。どんなことを言えば笑ってくれるのか、そればかり考えた。微笑んでくれればそれだけでお腹いっぱいになれた。あの人の好むものを僕も全力で好んだ。気があうと思われるのが嬉しかった。

 

特別な関係は望んでいなかった。踏み込むのが怖くて、臆病な自分を肯定して、個人的なことを聞くのは避けていた。聞いてしまったら、うまく処理しきれない自分が嫌になってしまう。表面だけでも取り繕って、その他大勢、あわよくばそのうちのひとかけら、友達でも恋人でもない位置にいさせてほしかった。

 

責任を取るのは嫌だ。重要なことは主役に任せておけばよくて、僕なんかは消えてしまってもわからないくらいの、添え物の存在でいい。だがそれは一方で、過度の承認欲求の裏返しとも呼べないだろうか。認められたいしお近づきになりたいし昼夜問わず生活を共にしたい。でも自信がないから「そんなことは求めていない」という顔をしたがるのではないだろうか。もしあの人が、今のままの僕でいいと抱きしめてくれたなら、僕はそれをあの人に返すことができるだろうか。

 

暇さえあればあの人のことを考えそうになるので、必死に別のことにも夢中になるようにした。傍目にそれは、仕事のことしか考えてないような勤労精神旺盛な、仕事人間のように映っただろう。

 

こんな僕は誰かを愛する資格があるのだろうか。あの人が僕に笑いかけてくるようになって、決して気のせいではないのだと認識せざるを得ない段階になって、もしかしたらこのまま、と先を空想しそうになるたび、繰り言のように考える。

 

 幸せを空想するのと同じだけ、最悪の想定をした。罵詈雑言を受ける夢、蔑まれる夢、別の誰かと微笑みあうあの人を眺める夢、そしてそれが、複数人いたという夢。

 

結局のところ、僕は勝手なあの人の偶像を好きになっているに過ぎず、何もあの人のことなどわかってやしないのだろう。いや、それもまた裏返しで、僕とあの人は表裏一体で僕はあの人の全てを把握しており、意識できていないだけで相性はばっちりで、何の不足もないお互いを補いあえる関係なのではないか。

 

いつも変わったお茶を飲んでいる人だった。

 

 「水中花籠、っていうんです。綺麗な花が咲くでしょう」

 

僕は何と答えたのか、もう覚えていない。近頃とみに記憶がおぼろげだ。ただそのとき僕は、花のようなあの人の、一番美しい姿をそのまま閉じ込める方法を知った。

 

「これでずっと一緒だね。」

僕のメリさん

午前7時21分、いつもの電車に乗り込めば、物憂げな表情のあの人と出会う。片手にはカバーのかけられた文庫本。

世界中のどこを探しても彼女ほど文庫本の似合う人はいないと思う。彼女の、その少し日に焼けた健康的な肌には、クラフト紙のカバーがよく馴染んでいる。彼女の住まいの近くにはあの書店があるのだろうか。僕は全く本を読まない。だからよくあるチェーン店なのか、個人書店なのか、その区別もつかない。もとよりそんなことを確かめたいとも思わない。そもそも本屋に行かないからだ。活字を見ると眠くなってしまう。何よりあの、本屋に漂う独特の、紙の匂いというのだろうか、得体の知れないこもった匂いに辟易としてしまう。

耳から流れる音楽を聴きながら、不審に思われない程度に彼女を眺める。僕より先に乗り込んでいて、僕よりずっと先で降りるのだろう彼女は、月並みな表現をすれば美しくて、仕事のできそうなOLだ。

きつく引かれた黒のアイラインに、薄い茶のアイシャドウに、真っ赤な口紅。土曜も休みなく働いているところを考えると、仕事は商社だろうか、いや、銀行員かもしれない。保険の営業でもいい。彼女のためなら親戚中から土下座してでも契約を頼み込んで営業成績に貢献する。まぁ、そんなことをしなくても平然と、しかし丁寧に仕事をこなしそうではあるが。

僕は勝手に彼女をメリさんと呼んでいる。理由は、僕の唯一知ってる海外作家がモンゴメリだから。そして彼女がとても外国風の雰囲気を持っているから。モンゴさんだと野暮ったいから、端の二文字から借用した。自画自賛だけどとても素敵な命名ではないだろうか。

メリさんが何を読んでいるのかは、わからない。僕が中学生のときに読書感想文用にがんばって読んだ文庫本よりだいぶ分厚い本を毎回読んでいる。悲しい話なのか、単にメリさんの顔が物憂げ気味なのかわからないけれど、大概忙しさにかまけて連絡を怠ったばかりに男に振られたキャリアウーマンみたいな、そんな顔をしている。

紺のストライプ地のパンツスーツに、第1ボタンが元からついてないカッターシャツを着ている。履いて長らく経つであろうパンプスは、磨いて丁寧に手入れされており、隙のなさを感じる。右の内側手前がやや擦れているから、内股で歩いているのだろう。

背丈の割に足は少し大きめで、パンスト越しに映るすらりと伸びた長さは胴よりずっと長い。細くも太くもなく、許されるなら柔らかな感触をずっと手のひらで感じていたい。

メリさんはどんな声で話すんだろう。どんな笑顔を見せるんだろう。話しかけて笑ってほしくなる衝動を抑えて、下車する。僕は所詮メリさんに取って赤の他人であって、登場人物にすらならなくて、無理やり彼女の舞台に上がったとしても、役柄で言えば通行人止まりだ。僕には僕の日常があるように、彼女は彼女の時間を生きている。決してすれ違うことのない平行線を歩むだけ。

せめて今はこの目に焼き付けて、また次の逢瀬まで、僕の一方的な恋を続けさせてほしい。誰にも迷惑はかけないから、この思いを秘めさせて。

どうか、明日もお元気で。また7時21分、3両目で会いましょう。

取扱説明書

初めまして。こんな僕を手に取ってくれてありがとうございます。これから僕のことについて書くことにします。

 

好きな食べ物は魚と鳥です。それと、甘いもの。昔はテリヤキバーガーを好んでましたが、ファストフードは最近あまり受け付けなくなりました。

果物も好きですが、買うほどではありません。いちごや桃の入っているデザートは、特に好きです。

 

好きなものは、本。あと海。青いもの。透明感のある、青いものは大概好きです。水族館とか。路地やお散歩も好きです。漢字がかっこよかったり、オシャレそうな雰囲気だったり、そういうふんわりとした良さのあるものが、好きです。

 

嫌いなものはあまりありません。強いて言うなら、あのGのつく虫です。でも、自力で駆除できるくらいだから、きっと大丈夫でしょう。他の虫は好きです。

 

絶叫マシンや乗り物は基本的に無理です。かなり乗り物酔いをします。テーマパークへの興味はありますが、どうか酔狂で連れ回してもらえる際には、パレードを見に行くだけにしてください。

電車と新幹線は平気です。バスとタクシーは体調によります。車は、うまい運転なら大丈夫です。

 

性格は、寂しがりやで強がりです。甘え下手です。基本的にいい子です。誰かのために、本気で頑張ります。フリのできない、要領の悪い人間なのでしょう。

精神は安定しています。落ち込むこともそんなにありません。あるいは、落ち込むことに関して鈍感なのかもしれません。まぁ、とにかく元気です。

 

最近の悩みは、引っ越したいことです。充分好き勝手にしていますが、僕だけの空間と、いちいち言い訳しなくても好きに過ごせる時間が欲しいのです。

 

趣味は読書と創作と、お散歩です。あてもなくどこかに行くのが好きです。あと、新しいことを知るのも大好きです。

 

大切な人ができたらつつがない日々を過ごし、数十年後に縁側でお茶を飲みながら、お互い歳を取りましたね、と言い合えるような平和な日常を送るのがささやかな夢です。

 

時々機嫌が悪くなります。原因はよくわかりません。世の中に厭世的になる日があるのだと思います。だいたい自力で回復します。贅沢を言うなら、柔らかなティッシュを用意してください。あとアイスの実か、ピノが欲しいです。

 

それでは末長く宜しくお付き合いください。