朝焼けに檸檬

アラサー。創作をしています。不定期更新です

あおと歌

歌は好きだ。つい口ずさんでしまうものもある。ただ、あんまり興味のないまま過ごしてきたのと、好きな歌手が歌手らしくないと鼻で笑われたことが大昔にあって、余計に音楽に対して積極的に接してこなかった。だから、好きな歌手ではないがいくつか覚えている歌はだいたい思い出が絡んでくる。

「B'zの、いつかのメリークリスマスは、何が良いって、椅子を買いに行くってのがいいんだ」
という今思い出しても何を言ってるのかわかるようでわからない、音楽通の友人が喋っていたとか。
ハイロウズ日曜日よりの使者は、勇気付けられるから好きなんだ」
という、大学の頃仲良くなった友人の一言だとか。日曜日よりの使者を好きだと言ってた友人は本当に優しい人で人を悪く言わない「誰一人傷つけない」人だったなとか。
だいたい好きな歌だと歌ってくれたことがあって、彼らの声でそれらの歌が再生される。

僕の涙腺は感動できる映画の予告で泣けるくらいに驚くほど弱いので(最近ほとんどなくなったが、会話の内容によっては最中に泣けてくることがある。)山崎まさよしのセロリを歌われてボロボロとアホみたいに泣けたこともあるし、ラッドのmemesheとか、フジファブリックの茜色の夕日とか、ちょっと感動的な歌詞があったらすぐ僕の体験とリンクさせて泣けてしまう。

歌はいい。素晴らしい娯楽だ。今ならスマホで聞きたいときに聞ける。カセットに吹き込まなくても、雑音に苛立たなくても、CDにやかなくても、MDにやかなくても、すぐ聞けてしまう。

願わくば、僕の歌いたい歌が歌いたいときに、歌いたい声で出せたら。ふふ。ないものねだりだな、やんなっちゃうな。それでも僕は今日も歌ってしまうのだ。だって楽しくなれるから。

あおとお掃除

時々一念発起して部分掃除し始めます。トイレや炊事場やその他諸々。汚いよりは綺麗なほうが好きなので、あまり苦ではありません。ただ面倒くさい精神をたくましく育てていますので、定期的にとはなかなかいきませんが。

掃除の何が1番いいって、何かを捨てる開放感です。あれもこれも結局使ってない、もういらない。なんて気持ちよくポイポイ。心踊ります。鼻歌も歌います。
どんどんミニマリズムにしていきたいので、シンプルかつ最小限に、カスタムできたらいいなと思っています。うまくいくかはさておいといて。
捨てたい候補はまだまだたくさんあって、その度に僕は現実や将来と向き合います。今度洗剤買い足すときはマルチなやつにしていちいち迷いたくないなとか、掃除機は壊れたらクイックルワイパー買ってごまかそうとか。万が一にも引越しになったら、布団はいい加減処分して軽くてお手頃なやつ新調しようとか。洗濯機壊れたらもうコインランドリー生活にしようとか。そもそも服も減らそうとか。

言い出したらきりがないですが、そういう処分を考えるのは楽しいです。でもほしいものもそれなりにあって、ほんとに使い続けられるのか考えながら戦っています。たとえば、そうだなぁ。茶碗蒸し作るやつほしいなとか。100円だし買っちゃおうかな?なんて考えだすともう散財なコースです。あったらいいなは心を豊かにするのは、そりゃなんとなくはわかりますけどね。
さて、そろそろ将来見えないかな、見えないよな。仕方ない。せめてルーティン作りたいなぁ。そのためにもやっぱ、環境を整えないといけないんでしょうか。お掃除、お掃除。

あおとアイドル

僕にとってのアイドルはカワイイをきちんとこなしている子で、それは何もテレビの中だけでなく、隣のクラスのナントカちゃんとその隣のクラスのナントカちゃんと、みたいに単純に僕がカワイイと思えばアイドルだった。
テレビの中ももちろん大好きな人たちは大勢いたけれど、ヒロスエだったりやぐっちゃんだったり、まゆゆだったり、僕がカワイイと褒めまくってた女の子はもう女の子という歳でもなくて、新しいアイドルは日々テレビを賑わせている。

テレビを賑わせなくなっても僕はヒロスエもやぐっちゃんもまゆゆもずっとアイドルだと思っているし、カワイイとも思い続けている。5秒どころじゃなくてマジで恋しまくってる。ヤバみ。
アイドルといえば2次元も好きで、アイマスはアイドル業界の厳しいところを何となくかいつまんでいるくらいのほわほわとした感じが現実より心地よかった。
カワイイものは好きだ。カワイイを頑張っている人が好きだ。カワイイのために一生懸命になれる人に憧れる。チヤホヤされる権利のある人たちだ。チヤホヤと代償に大きな犠牲を払っていると思うと頭の下がる思いがする。なんてカワイイは疲れるんだろう。
僕はアイドルになろうと憧れたことはなかったが、最近になってカワイイを頑張り始めた。カワイイは作れる、は有名な標語だが、カワイイは疲れる、はもっと推していかなければならない事実だ。カワイイは無償ではない。対価を支払わなければ得られないのだ。
カワイイは正義である。但し正しいカワイイはない。全てが対価を支払うべきに値する作られたカワイイであり、それに間違いも正しいもない。そういうものさしはないのだ。
だから僕はアイドルをカワイイと褒めそやす。今のイチオシは平手友梨奈ちゃんである。アラサーがセブンティーンにメロメロ。いいじゃない、だってアイドルはカワイイんだもの。

『よだかの星』考

宮沢賢治よだかの星』について
独断につき批判はご遠慮願います。

 

善人に対して世は冷淡というわけではない。たとえばよだかのように、自身の自己肯定感が低く、容姿も侮りやすく、自分よりも格下と決めつけやすい「弱者」であれば、人は簡単に差別する。

 

何も能動的に悪いことをしなくても、嘲ったり傍観を決め込んだり、そうしていることも良いことではない。

 

よだかの中で話し相手に出てくるのはかわせみの弟くらいで、それも理解者がどうかははっきりしない。かわせみはただ己の寂しさだけを述べている。もちろん会話は救いになり得る。しかし、彼の苦悩を解消する手立ては無いに等しかった。

 

太陽、星とお願いに回るシーンも印象的である。自然界で地位あるものへの願いは、しょせんただの一介の鳥では叶えられない。これもまた涙を誘う。

 

たらい回しにされ、無視されるかなじられるか、いずれにせよ非建設的な時間を過ごす。

種族にも自然界を牛耳る権力層にも見放され、そうした中で最期のシーンへと続く。

 

あがく。もがく。朽ち果てようとも。
ただの鳥でも、道を切り開こうとすれば開ける。その身を主張することができる。大空に燦然と輝く一部に。


決死の覚悟で向かえば、立ち向かえる。個人でも闘える。死を背に腹をくくって生きる。そうすれば、全力を尽くす先に得られる素晴らしいものがある。

 

宮沢賢治がそんなことを意識して書いたかどうかはわからないが、僕はこの話に「もがき苦しみ迷いながらも、最善を尽くす情熱」を感じる。


何度断られても、くじけかけても、最後の全力まで努力を重ねればきっと報われる。それは、彼自身がどこかで感じていた自身の創作に関する姿勢のようにも思われる。

雨降りには紫陽花を添えて

学校帰り、何でもない会話をしながら、6月11日17時5分というこの時間を忘れないでおこうと思った。片付けとか面倒なことは嫌がってしない私が、写真の共有サイトや地域の噂話コミュニティや、本当か嘘かわからないものまで頼って調べて、やっと場所を決めた。

 カフェに行ったあとは、オシャレな雑貨屋さんに寄って、オソロのヘアピン買うのはどうだろう。プリクラはやっぱ定番かもしれないけど、写真が嫌いだって言ってたからやめといたほうがいいかもしれない。私はオソロもプリクラもしたいけど、彼氏が嫌がることはしたくない。

 ハツカレ。私、彼氏できちゃったんだよ。腕組もうとしたらはしたないって怒られるし、手も恥ずかしいって繋いでもらえないけど、でも、ちゃんと彼氏。周りのみんなに自慢したくなる。長い黒髪に自然と上向きにカールしたまつ毛、人形みたいに白い肌に、桜色の唇。私にない色んなものを持っている素敵な彼氏。

 

「マキちゃん。マキちゃんは物語の主人公になれるとしたら、何になりたい」

 

 じっと聞いていたくなるくらい高くてかわいい声。子鹿が楽しそうに飛び跳ねてるみたい。

 

「私、お姫さまがいいな。真っ白のドレス着て、素敵なお城に住むの」

 

 やたらとでかくて何の膨らみもなくて、声も低くて怖そうなうえに、目つきもそんなに良くない。おばけみたいって言われて泣いたこともある。そんな私はお姫さまになりたくて仕方ない。

 

「想像するだけでとても素敵だよ。いつか、そんな写真撮ろうね」

 

 「ユキちゃんは、白のタキシードか燕尾服か、何でもユキちゃんが着たいの着て隣にいてね」

 

 僕はカメラマンでいいよ、と笑う私よりも30センチ低い、私がなりたくてたまらないお姫さまみたいにかわいいユキちゃんは、かっこいい王子さまになりたくて仕方がない。私たちはとってもあべこべ。もしも逆転できたなら幸せだったのかもしれないけど、こうして出会えたから今の姿も悪くないと思える。

 路地を抜けたら、カフェが見える。今までの梅雨は雨ばかりで憂うつな気持ちになっていた。今は並んで歩くだけでどこにいても晴れ晴れしい。おまけに今日は初めてのデート。ただ、どうしても私の気持ちはデートの計画があんまりすぎて、もしかして嫌われてしまったらなんて暗いほうへいってしまいそうになっては、現実に戻されている。着いてから席についても私はそわそわと落ち着かない気持ちでいた。

 

「大丈夫だよ、マキちゃん。僕も今日がとても楽しみだったし、なかなか眠れなかったし、おまけにさっきから手が震えてる。情けないね」

 

にこやかに笑ってくれるユキちゃんは頼もしく、店内に漂う甘い香りを嗅ぐ余裕が出てきた。

 

「季節限定のあじさいパフェ食べたい。」

 

 調べたときから、大好きな紫色の寒天とマーブルチョコアイスをうずまき状にしてかたつむり風に見立てたのが素敵だと気になっていたのだ。あと期間限定とつくとついつい頼んでしまうから、期間限定は本当にずるい作戦だと思う。

 

「僕は、えっと、無難にホットコーヒー、いや、こっちのエスプレッソ、やっぱりアフォガート、待てよ、店員おすすめの日替わりドリップコーヒーとやらも」

 

 お弁当のおかず交換で迷うユキちゃんは、想像した以上にメニューで迷っていて怒られるから言わないけどかわいかった。結局私のどちらにしようかなでアフォガートに決まり、外に目をやる。

 

「この後、どうする」

「今日のデートは全部、マキちゃんの好きなところに行こう。マキちゃんの好きなもの、もっと知っていきたい」

 

 ちょっと私の彼氏、かっこよすぎませんか。

なおしほし

お題箱から。

貝殻を集めるのが好きな男の子と星を集めたいと言う男の子のちょっと不思議な話

 

貝から音がすると言う。波の音じゃなくて、砂のこぼれる音でもない。僕の聞き間違いでも、おぼえ間違いでもなければ確かにこう言った。

「星の音がするんだ」

星に音があるのだろうか。遠い空の向うにある星たちは今も軽い明滅を繰り返すばかりで、長い筒を通して見ても、それが高価で性能の良いものでも、やはり音は聞こえなかった。

親の財布をかなり涼しくさせた立派な天体望遠鏡から視線を降ろすと、途端あまりきれいではない景色が見える。それでも静かな点はたいそう気に入っている。相変わらず夜遅くまで働いているスーツ姿の人たちが歩いているばかりで、車道と少し離れているからエンジン音はしない。外の音を聞き取るよりも、部屋の空調音のほうが鮮明に聞こえてくる。

もう一度空を見上げて思い返したのは、最近教わった理科の授業だ。今見ている空よりもさらに遠い宇宙という空間に音はなかった、とか言ってた。だから星に音なんて存在しない。

いつからだったか、星を眺めるのが好きだった。風の強い日や雪の降るほど寒い日でもベランダに出て、何時間でも空を眺められた。夜の闇に包まれていると、安心して呼吸できる気がした。昼はいやに明るすぎて、学校は最低限しか通えていない。

学校そのものがいやなわけではないと思う。行ったらみんな優しくしてくれるし、勉強もわからないわけではない。ただ朝日が昇る頃になると休みの日も平日も関係なく気分が塞ぎ込んでしまって、頭やらお腹やらの不調を訴えた。最初は心配をしていた母親も、次第にめんどくさそうに電話をするようになった。

病院に連れて行かれたこともあったけれど、とにかく僕は毎日学校に行くつもりがなかった。僕はココロのビョーキならしい。ビョーキのつもりはないけれど、医者がそう言ったのだ。よくわからないがおかげで僕は真面目に学校に通わなくてもよくなった。

さっき開封したばかりの封筒には、また貝が入っていた。気まぐれに学校からの配布物を届けてくれる恭平のお土産だ。恭平はなぜか貝ばかり入れてくる。休みの日は自転車で遠い町にある海まで出かけて、よく貝を拾ってくるそうだ。いつか僕だけの貝を見つけるための研究だと言っていた。僕もいつか自分の星を発見したいと毎日天体観測しているから少し似ている。僕らは全然違う性格だけれど、ちょっと似ているところがあるから友だちだ。

1度だけ、2人でこっそり抜け出して、夜の海に出かけたことがある。星空みたいに波間が輝いて月が映っていて、まるで時間が止まってしまったみたいだった。海は遠いしかなり疲れるけれど、また行ってみたい。

昼はもっときれいだと恭平はうるさく言ってくる。僕はいやだと言って聞かないから、いつもこの話はケンカのきっかけになる。まぁ、いつか、気が向いたら行ってやらんこともない。

貝に耳をあててみる。薄黄色で中途半端に巻いた貝がらからはやっぱり空調の音しかしない。と思っていると、ふいに高い、連続した音楽らしきものが聞こえたような気がした。笛のようなオルゴールのような、いや、僕の知らない楽器の音だ。何度あてても同じ音がする。

恭平も同じ音が聞こえるだろうか。これはもしかするとそのうち星になる貝かもしれない。大発見だ。なら、これは「なおしほし」。僕の星にしよう。

僕という人

ジェンダーのツイートやアンケートをきっかけに、改めて僕について考えていた。ツイートに収まる気がしなくて、でも書いておきたかったから、書いていく。

結論だけ言うと、わからない。まだ僕を探してる。

 

僕という人間をそれなりにこねくり回してやってきたのだが、よくわからないままでいる。僕のほんとうは何か。

 

身体として性別はある。

精神としての性別は、たぶん両方ある。どちらかでいたい時間が交互に訪れる。

 

外見上の問題さえなければ、僕は性別と反対の道を進みたいと思っている。

それも、かなり長いこと思っている。ちょうど初めて中2を迎えた頃は、強く自覚した。

 

似合わない服を着て、似合わないものを置き、手の届かない高価な、僕の思い描く大人が身につけそうなものに憧れた。

 

一方で、今の性別で生きていることが自分の外見にとって有利だという判断をしていた。

その考えを肯定するかのように、外見はますます僕の精神にそぐわないほうへと成長を遂げた。

だから、性別の違和感を口にしたことや、違和の解消を行動に移したことはなかった。

 

今も表立って口にしない。この身体はどう考えても、今ある性別を有利に生きることができる身体である。身体そのものへの不満はない。

 

そして、性的趣向がどうかと聞かれると、異性愛者だと思う。

だと思うというくらい、僕にとって「どうでもいい」ことだ。好きだと言われさえすれば受け入れられるいい加減さがある。

 

肉体的なつながりは、あればいいし、なくても困らない。と最近気づいた。

 

どうでもいいを訳すと、何でもいいになる。今まで好きな人と恋愛をしてきたかと言われたらたぶん好きだったろうし、全然そうでもなかったかもしれない。

 

深い人間関係を続けていく自信があまりない。自信がないというより、その気力が続かない、という方があっている。

 

おそらく僕は、僕を愛しすぎて、他人に興味が持てない。僕以上に興味深い人間がいない。

 

優しいと言われるし、嫌われたくないと振る舞う自分もいる。でも結局僕が一番大切な人だ。

 

人並みの幸せは欲しい。喉から手が出るほどに。たぶん。

 

どうして僕には結婚だとか、長く付き合える相手だとか、そういう存在がないのか。

 

周りから早く結婚しそうだとか、恋人には不自由しないだろうとか言われてきた。

 

ほんとうにそうだろうか。お前は1人でもやっていけてるじゃないか。

 

そう。事実、今が楽しい。寂しくない。困らない。じゃあ一生このままか。

 

ということは僕を生涯溺愛することができるという寸法だ。孤独で閉じた世界。

 

僕の書くものは、僕の好きな世界。

「読んでどう思って欲しいの?」の答えは、「あなたの思うままにどうぞ」。

 

お口に合うならどうぞご贔屓に。