朝焼けに檸檬

アラサー。創作をしています。不定期更新です

月を煮る。

なおしほし。尚志視点

 

年に何回もあるスーパームーンに、僕はときめく。見ろよ、綺麗だろ、大きいだろ。そうやって語りかけてくるみたいだから。

 

「そろそろ寝なさい」

形式通り22時半に消される部屋の明かり。いい子の返事をしてからしばらくして、僕はベットから抜け出し、天体望遠鏡を覗く。田舎の中では都会、ある意味では都会と呼ばなくもないこの街の天気は、晴れだった。いつも通り、月の模様までくっきり見える。天体望遠鏡の口にスマホを近づけて、一枚。あんまり良さは伝わらないが、ないよりましだと言い聞かせて恭平に送る。

 

程なく震えた返信は

「デカくてすげぇよな」

「俺も今見てる!」

やたらと白くて、明るくて、カーテンを少し開けているだけなのに部屋が随分明るくなる。静まり返った部屋の窓に、今日だけのプラネタリウムが上映されている。

主役は柔らかなカスタードとも、夕日のような赤とも違う色。雪。一面の白銀。同じ白なのに、微妙な色彩があり、光の加減で瞬く。包み込むような白。灰のように見えて光沢があり、でも、完全に黒になっているところ、無骨な穴も散見している。

いつもしているように手を伸ばして、届くわけもないのに、掴もうとする。手が触れた振動で、望遠鏡の焦点が歪む。白銀が揺れ、星が揺れる。一晩限りの共演。今日しか見れない星空。スーパームーンに心なしか浮き足立って、いつもより明滅のペースが早いのではないだろうか。それに、月の周りの星たちは月に遠慮でもしているのか、いつもより控えめに発光しているように見える。もちろんそうではなくて、月より遠いとか近いとかで差があるわけではない。ここから近いか遠いかだ。

「もう寝た?」

「いや、まだ」

「早く寝ねぇと、明日起きれなくなんぞ!」

やたらファンシーな、怒りマークのスタンプが届いて、

「大丈夫、もうすぐ寝るから。おやすみ」

と嘘をつく。僕はあと3時間くらい寝れそうにない。できれば月が傾いて、見えなくなるまで見届けたい。ごめんね、明日も休むよ。今日起きたときから決めていたから。

「明日絶対学校でスーパームーンの話するんだからな!絶対!おやすみ!」

見抜かれている。しかも念押しされている。これはめんどくさい。まだ開けてないからセーフということにしておこう。未読スルーだ。

さて、吐く息はまだ白いが、少し寒さも緩まってきたこの頃、我が家の鍋メニューはそろそろレパートリーがなくなっていた。明日はたぶん豆乳鍋だ。鶏肉が安かったと言っていたからきっと鶏肉と野菜の鍋だ。豆乳にとろりと月を放り込んで、一緒にくたくたに煮たらどんな味がするだろう。白菜に軽く溶けた月を丸め込んで頬張る。切り取られた月が口の中でとろける。クリームシチューよりまろやかになって、でも時々筋張ったところもあるから歯応えもある。

お腹が空いてきてしまった。水筒に確保しておいた温かいお茶でも飲んで、早く寝て空腹を誤魔化そう。きっと、恭平のせいだ。そうに違いない、と月を煮込んだ話も合わせて明日言ってやろう。起きられたら。起きても行きたくなるとは限らないし。いや、行かないし。でも言いたい。ええい、とりあえず寝てしまえ。学校に行くかどうか考えるなんて、僕らしくない。

これもやっぱり、恭平のせいだ。

tip tap tap

顔を洗い、タオルで水気を拭き取る自分の顔と、目があった。クマがひどく、くたびれた顔だ。少し寝るのが遅くなっただけで、随分調子が悪くなる。30歳という年齢を嫌でも意識するし、30歳以降も坂道を下るようにやってくるのだ、という誰かに言われた言葉を思い出す。

昨日、彼女を追い出した。同い年のわりに頼りなく向こうみずで、仕事をすぐに放り投げる悪い癖がある。家事もいい加減だし、やる気がない。おそらくそのうち催促されるであろう、一緒に選んだ洗濯機や、電子レンジなどの家電はもう一度買えばいいから譲ってもいいが、正直もう顔を合わせたくなかった。

第一向上心がない。明確な目標が皆無だ。ただ甘えて生きようとするずるさがある。僕は、そういう生活を望んでいない。だから仕方なかった。

「真剣に考えてもらってなかったんですね」

娘の話を鵜呑みにした向こうの親から連絡が来たのは、日曜朝の9時だった。休みの日くらいゆっくり寝ていたい僕からすればいい迷惑だし、向こうの主張が僕と噛み合わないのはすでに折り込み済み。どう表現すればいいのかわからないが手垢のついた言葉で表現するなら、住む世界が違ったんだと思う。

30になった娘と1年も付き合っておいて将来のことも考えず適当に放り出して、いい加減な人間だ、というのが向こうの主張。そもそも早く結婚しろと刷り込み教育をしたのはおたくの方針で、僕らの最初の出会いはかなりいい加減だったし、こちらとしては罠に嵌められたという感じですよ、と言ってやりたかった。

おまけにできちゃったかも、産みたいなんて言われて、かなり参った。確かにそこに僕に責任はあるかもしれないけど、子供は欲しくないという僕の意思は最初から一貫して伝えていたはずだ。

「お金は出すから」

慰謝料だのと喚き散らす彼女に、これ以上付き合いたくなくてそれだけ言ってあとは黙っていた。とにかくうるさいしかわいくないし、どうして僕はこんな奴と付き合っていたんだろうと考えているところに、呼んでいたタクシーが来た。適当な金額を持たせて追いやり、やっと就寝できたと思ったら朝から電話。

人の話を聞かない上にほとんど何を言っているかわからないのも、そっくりですね、とも言ってやりたかった。結果、向こうの主張通り僕の年収くらいの慰謝料をふんだくられるが、親をかませて親同士となると埒があかないので、僕の裁量で、月額いくらいくら引かれる程度で突き放せるならそれでいいと思う。

僕はひどい男なのだろう。あれだけ言われたのだからきっとそうだという、妙に確信めいた気持ちがあった。では彼女は?彼女もまたひどい女だ。ヒドイモノ同士良かったのもしれない。かわいそうな人。これから彼女はどうやって生きていくのだろう。また誰かに甘えて、頼って、そうした旧時代の女のような生き方をしていくのだろうか。彼女の母がそうだったように。

tip tap tap

三十路の魂百まで

もちろん検索結果はない。哀れで不幸で、僕が一生のうちに少しだけ関わった他人。変わらない良さと、変われない辛さを学んだ。僕にはどうでもいいことだけど。まだ少しだけ関わらないといけないけど、そのうち、もう、知らない人。さようなら。

取扱説明書

初めまして。閲覧感謝します。

僕のことについて書くことにします。

 

好きな食べ物は魚と鳥です。

どちらかというと、生っぽい食感を好みます。刺身最高。

それと、甘いもの。いちごや桃の入っているデザートは、特に好きです。

 

好きなものは、本。あと海。青いもの。透明感のある、青いものは大概好きです。

水族館とか。路地やお散歩も好きです。漢字がかっこよかったり、オシャレそうな雰囲気だったり、そういう厨二だったりベタだったり、ふんわりとした良さのあるものが好きです。

 

嫌いなものはあまりありません。強いて言うなら、あのGのつく虫です。

あと、絶叫マシンや乗り物は無理です。乗り物酔いをします。テーマパークへの興味はありますが、どうか酔狂で連れ回してもらえる際には、パレードを見に行くだけにしてください。

電車と新幹線は平気です。

バスとタクシーは体調によります。

車は、正直、運転手によります。

 

性格は、楽天家な臆病者です。また、面倒なのか臆病なのか、意志に欠けるところがあります。意向に沿う名目で思考停止していることもあります。省エネ?なるべく自分で決めなければいけないことは決めていかないとね、とは自覚しはじめました。

 

酒は嗜みませんが気心しれるとやたら饒舌で面倒くさい絡み方をします。優しくしすぎるとがっつりしがみつかれるので、絡め取られないようご注意ください。

ただ、基本的には対外的にいい子です。誰かのために、本気で頑張ります。フリのできない、要領の悪い人間なのでしょう。

 

元気が取り柄でしたが、最近なんとなく浮き沈みがあることに気付きました。まあなんとかなるという根拠のない自信だけは一人前なので、なんとかなるでしょう。

 

趣味は読書と創作と、お散歩です。

あてもなくどこかに行くのが好きです。あと、新しいことを知るのも大好きです。

 

紆余曲折しましたが、1人で歩いていく覚悟を決めました。僕は僕に寄り添って生きることにします。

 

時々機嫌が悪くなります。原因はよくわかりません。世の中に厭世的になる日があるのだと思います。

わあわあ喚き終わるまで触らないほうがいいでしょう。自分の面倒は自分で見ます。ご了承ください。

 

もし見かけたら、ちっさい生き物だなぁと遠くから観察するくらいにしてください。食べるとお腹を壊すおそれがありますので。

あおとしたいこと

僕はお話を考えるのが好きです。空想ばかりして生きていたいのが本音。お散歩や旅行と読書。あとは、お互いに、一緒に過ごしたいと思える人と居られればそれでいっぱいです。

 

僕は色んなことに関して決めるのが苦手ですが、決められたことに文句は言いませんし、決められた先に出向いて新しい出会いが生まれるのがとても好きです。

 

だから、また近いうちに、旅立つ予定をたてています。何が起こるのか楽しみだし、僕は適応する気がします。あくまで、生活することに、ですが。

 

あと、出す出す詐欺にならないように、きちんと本を書いています。今度こそ出します。できたら真っ先に見せたい人がいます。僕の背中を押してくれた人。僕を勇気付けてくれた人。

 

何てったって僕、今年おみくじ、1番の大吉出したんですから。きっと運は向いてると思うのです。物は考えようでしょう?

 

ずっと、僕は僕でありたいと思いながら、誰かに支えてもらいたい、甘えたいと思っていました。僕が必要で僕にいて欲しくて、僕といたいと思ってくれる人。もちろん僕も同じ気持ちになれる人。

 

していないからしてみたいこと、色々あります。ウェディングドレスに、タキシード、燕尾服、ロリータにゴシック。

色んな洋服を着てみたいのです。お裁縫ができなければサイズも市販で難しいので叶いませんが。

 

行ってみたいところもたくさんあります。一度出向いたところも、そうでないところも、海外も。

あと、四六時中一緒だとかは違って、僕が好きではないことを許容できて、それにとやかく言わなくて、僕も同じようにされても気にしない、ルームシェアとか。

誰かと過ごすって折衷案があると思うのです。ゼロか100かなんて極端にはいかない気がします。

分かり合えないところもあるから分かり合えるというか。

 

ま、なかなか難しいし僕には僕がいるからやっぱり僕は僕がいちばんの理解者だね、となるわけですが。

 

ひとまず、誰も考えついてない新しいお話、新しいアイデア、そんな楽しいものやことを、これからも考えていきたいなと思っています。

おセンチは性に合いませんし、美味しいいちご菓子はまだまだ尽きません。

暖かい室内、アイスの実をドカスカ放り込んで、前向きにやって行く所存です。

 

あおとクリスマス

クリスマスの思い出は、家族でケンタッキーとケーキ。振り返れば典型的で幸せな家族生活を送っていたのだと思う。

 

残念ながら僕はケンタッキーが好きではなくて、いつまでも口に残るパサパサしたお肉はいらないから皮だけ食べてごちそうさまします、あとはケーキで。という感じだった。

 

何故か僕以外は好んで食べるコールスローも大嫌いで、大抵家族の誰かに押し付け、パサパサしたお肉をコーラで流し込むように食べ、口直しのケーキでどうにか不機嫌を直していた。

 

も一つ付け加えると当然のように出てくるシャンメリーも、少し大人になってシャンパンになったときも、味が全く好きになれず、楽しみでないことが多かったのは確かだ。

 

ただ、バーレルのセットについてくる白髭おじさんの描かれた青い皿と、付属のケーキは好きだったので、なんだかんだでワクワクはしていたと思う。過干渉気味だったが子どもに甘い両親だったのでプレゼントも毎回子どもの望むものを与えてくれた。

 

当時は嫌なことの多かったクリスマスを家族で過ごさなくなって、あれはあれでよかったと振り返れるようになった。

クリスマスをなんとなく楽しい日として認識できているのは、悔しいけれど両親のおかげなんだろう。

 

僕はこれから先、誰かに楽しいクリスマスのひとときを提供できるだろうか。楽しかったと記憶してもらえるだろうか。それともクリスマスなんて行事はマヤカシで仏教徒の僕らには関係ないんだよ、と無視して生きようか。

所詮クリスマスは年末の忙しい一部で、毎年のように活況で、僕の気分など一切考えず過ぎ去っていく。

 

なんで僕らはクリスマスに、誰かと一緒に過ごそうとするのだろう。クリスマスPRはバレンタインのように、うまく日本に馴染みすぎてしまった。

平凡な、単なる日常に過ぎないのに非日常的演出を意識させられる。

特別な食事、ケンタッキー、大きなチキン、ホールのケーキ、巨大なツリー。

何か特別なことを言わなくちゃいけないような気になって、どこか気取っちゃって、ちぐはぐな自分になる。

 

何やってんの。僕は僕で君は君でしょ。

イルミネーションがキラキラしてたって、プロポーズしなきゃとか、カッコつけなきゃとか、いいムード作らなきゃとか、そんな焦んなくていいから。

 

そう世間に向かっての独り言を考えながらも、寄り道してコンビニで小さなケーキを買って、いつもよりちょっといいお肉を買って、揚げるのは怖いので醤油で甘辛く焼いて、チーズものせちゃおう。

 

これが今年の僕。特別じゃないような、特別のような。曖昧な感じでちょうどいい。いつもだけどいつもじゃない。

プレゼントはサンタさんに頼んであるの。今はまだそのときじゃない。早寝するから。僕いい子だから。だからいつか持ってきてね。おやすみなさい。

あおと「僕」たち

僕の中の「僕」は、いつか振られた男だったり、街中で見かけた「僕」と言いそうな男だったり、何かのドラマや漫画で見たようなありきたりな「僕」だったりします。

そしてそれらは部分的に僕と似通っていて、憎めません。

それぞれの世界があり、「僕」はいつでもその世界でただひとりきり、1回こっきりのご登場です。

あの世界の「僕」と別の世界の「僕」がどこか似ているような気がするのも、全て僕の中を通っているからかもしれません。

彼らを特別印象づけたくない意図もあるのかもしれません。彼らをあなたたちに重ねて共感してほしいのかもしれません。

僕は整理整頓が苦手で、何でも困ったらすぐ捨ててしまいます。僕は2人の僕だけで手いっぱいなのに、頭の中は新しい「僕」のことを考えます。

あと、僕にはこらえ性があまりありません。キャパシティというものが浅いのでしょう。キャパシティとやらはお酒や、別の何かのように、訓練すれば大きくなるらしいです。が、大きくなる訓練も学校のように規則的に受動的でなければ自発的に取り組めません。

非常に忘れっぽいたちでもあります。あらゆることを捨てる、に通づるかもしれません。

覚えていたいことも忘れてしまっていることに気づいたときにはいつも、しょんぼりします。

こんなにも不完全ですから、早くに消え去るつもりだったのが、いよいよ30になります。まだやけど。

人というのはたいそう不思議な生き物ですね。生きようという強い気持ちがなくても生きていけるようです。未練やしたいことがあるから、案外しぶとく生きているのかもしれません。

「僕」は相変わらずうるさく出番をくれと騒ぎますし、かといっていつか出た「僕」なのか、初めましての「僕」なのか、区別がつきませんのでそろそろきちんと呼称を考えてやりたくもなります。

それが親ってものでしょう、なんてこんなときだけ都合のいい親ヅラをします。

 

なんやかんやと私事でごちゃついてると書けなくなってしまうのですが、こうしてぽちぽち始めてみるとなかなかいいものですね。

 

イベントに出るのはもう少し未来になりそうですが、根気よくお付き合いくださると幸いです。そいではまた。

あおと歌

歌は好きだ。つい口ずさんでしまうものもある。ただ、あんまり興味のないまま過ごしてきたのと、好きな歌手が歌手らしくないと鼻で笑われたことが大昔にあって、余計に音楽に対して積極的に接してこなかった。だから、好きな歌手ではないがいくつか覚えている歌はだいたい思い出が絡んでくる。

「B'zの、いつかのメリークリスマスは、何が良いって、椅子を買いに行くってのがいいんだ」
という今思い出しても何を言ってるのかわかるようでわからない、音楽通の友人が喋っていたとか。
ハイロウズ日曜日よりの使者は、勇気付けられるから好きなんだ」
という、大学の頃仲良くなった友人の一言だとか。日曜日よりの使者を好きだと言ってた友人は本当に優しい人で人を悪く言わない「誰一人傷つけない」人だったなとか。
だいたい好きな歌だと歌ってくれたことがあって、彼らの声でそれらの歌が再生される。

僕の涙腺は感動できる映画の予告で泣けるくらいに驚くほど弱いので(最近ほとんどなくなったが、会話の内容によっては最中に泣けてくることがある。)山崎まさよしのセロリを歌われてボロボロとアホみたいに泣けたこともあるし、ラッドのmemesheとか、フジファブリックの茜色の夕日とか、ちょっと感動的な歌詞があったらすぐ僕の体験とリンクさせて泣けてしまう。

歌はいい。素晴らしい娯楽だ。今ならスマホで聞きたいときに聞ける。カセットに吹き込まなくても、雑音に苛立たなくても、CDにやかなくても、MDにやかなくても、すぐ聞けてしまう。

願わくば、僕の歌いたい歌が歌いたいときに、歌いたい声で出せたら。ふふ。ないものねだりだな、やんなっちゃうな。それでも僕は今日も歌ってしまうのだ。だって楽しくなれるから。