創作再開しました。不定期更新です

何度でも花が咲くように私を生きよう

名前を呼ばれ、扉を叩く瞬間私の脳裏をよぎるのはいつだって、あの扉。

あれは、15年前。
私は母のあつらえた洋服に身を包んでいた。
被服科を出た彼女は布地を買ってきては、私を着せ替えた。
市販品ではないそれが私だけの特別なもののような気がして、嬉しかったのを覚えている。

「どうぞ」

些末な中身は記憶にない。
ただ、あの時叩いた扉の淡い木目と、重厚な造りをしたドアノブを、私はずっと忘れられずにいる。
型通りの質問。
事前に何度も念入りに打ち合わせた内容を、口が勝手に話す。
当然ながら、微笑みも絶やさない。

見られること、話すことに慣れていた。
どう話せば喜ぶのかも、子どもながらに心得ていたつもりだ。
いわゆるおませさん、と言えば伝わりやすいだろうか。
私はそんな、大人からすれば扱いやすく、同級生には一目置かれ、ある意味では気難しい子どもだった。
だからあの日も、大人を上手く騙せる気でいた。

「貴女はこれから、何のために生きますか」

予定外の質問に、1番してはいけない沈黙を作ってしまった。
焦りが失敗を生み、なんと答えたのかも分からないくらい、思考が乱れた。
陰鬱な面持ちで私は帰ってきたらしい。

結局その日を境に、私の人生は少し変化があった。
それまで呼ばれていたお仕事の数々が雨露のごとく消え失せ、普通の女の子に戻ったからだ。

最初は特別さを失った悲しさがあったが、時間が解決していった。
時期としても、ちょうどその頃が潮時だったのかもしれないと思う。
入れ替わりの激しい世界だし、仕事がなくなっても気丈に振る舞えるほど、私は強くなかった。

実年齢より少し綺麗なだけの女性。
今となっては誰も昔を知らない。
だったはずなのに、また光を求めた。
はいて捨てるほどいる、元〇〇。
需要なんてない。
一縷の望みが私をこの世界に繋ぐ。

いいね、と言ってくれる人のため、
私は今日も扉を叩く。
あの日出せなかった答えを、今も出せずにいるけれど。
ひとつだけ大きな決意はある。

何度でも花が咲くように私を生きよう。

明日のSHOW

緩やかな脱力ののち、吐息が溢れる。
力を抜く心地良さは、味わった者にしか分からない。
噴き出る汗を持参した柔らかなタオルで拭き取り、お茶で喉を潤す。
仕事帰りの疲れた身体に鞭打ち、ジム通いを始めている。
同年代くらいがいれば、若い大学生くらい、老齢まで、年齢層が幅広い。
この街にいる人ばかりではないだろうが、電車で通ってまでだとするなら、熱心なものだ。
ターミナル駅のため、通いやすいんだろうか。
いつ来ても、僕が来る頃には全体が熱気に包まれている。
時折歓談する男女を見かけるが、どちらかというと黙々と目も合わせず鍛える人が多い。
僕が気付いていないだけで、出会う人たちもいるんだろうか。
僕の預かり知らぬところで、僕に迷惑さえかけなければ、好きにしてくれたらいいと思う。
一人で身体を動かしていると、ふと口先を尖らせ緊張をした面持ちの女性が通り過ぎる。
落ち着かなく目を漂わせ、事務的に何個かの機械を手に取り、冷やかし程度に体を動かしている。汗をかく様子もなく、そそくさとその場を去っていった。
彼女もまた最近始めた一人だろうか。
真新しいトレーニングウェアに、靴。
機械と距離を計りかね、人とも一線を引いているようだ。
ふと、先程の女性が置き忘れたであろう、青いボトルが目に入った。
入会するとき半ば強制的に勧められる、効果の甚だ怪しい飲料である。
ジムの各階に補給機が設けてあるため、利用者は少なくない。
頑として効果を認められない僕は、インストラクターの必死の販売文句に黙秘で勝利した。
それはそれとして、入会した人の氏名が入っており、共通の容器でも区別がつくようになっている。
「すみません、〇〇さん。」
僕を認めるや否や、不思議そうに、やはり緊張で唇は尖らせたまま、頷く。
消え入るような、しかし可憐な音を響かせ、瞬時に僕は魅了される。
興奮冷めやらぬ僕を他所に、事務的な受け取りを済ませ、彼女は去っていった。
帰路、偶然目の端に彼女を捉えたとき、僕は勇気を振り絞り近づく。
決して不審に思われてはならない。
その気持ちがある時点で申し分なく不審であるが、細かいことを気にしてはならない。
たとえ1%に満たない確率だとしても、僅かな期待を胸に僕は歩む。
輝く未来への一歩。
明日のSHOW。

squall

たとえば、誰か大切な人が死んで、僕は泣き崩れる。
周りは僕に同情し、慰める。
死を悼み、思い出しては泣く。
数年もすれば、時折思い出す程度になり、年月がたてば、誰か他の大切な人を見つけるかもしれない。
たとえば、誰か大切な人が死んで、僕は憔悴するほど死を悼む。
現実を直視できず、ふとある日、その死んだはずの誰かを感じる。
まだいるのだ。
まだいて、感じる。
笑い合うこともあるし、泣きたい日には共に泣く。
一緒にいた頃と何ら変わりなく、他の人にも僕の目にも、実体がないだけ。
当然大切な人がいるのだから、僕は他の誰も愛さない。
たとえば、大切な人が死んで、僕は泣く。
いや、泣かないかもしれない。
あぁ、いないんだ、という虚無感が僕を包む。
じわじわと哀しみが僕を纏い、それでも、泣くに泣けない。
周りからは非難轟々。
周りの非難から逃げるように、僕は殻に閉じこもる。
それは、共に過ごした振り返りかもしれないし、新天地の開拓かもしれない。
ほとぼりも冷めた頃、僕は急に泣きたくなる。
大切な人がいた場所、感覚、全てが僕に降り注ぐ。
周りはもう、忘れてしまっている頃かもしれない。
それでも僕は、大切な誰かを今日も思い出す。そして、悼む。
たとえば、大切な誰かが死んで、思い詰め、僕はその人と同じ所へ旅立とうとする。
手段はたくさんある。
今すぐ会いに行くよ、待っていてねと。
その人のいない世界など僕には考えられないから。
だから僕は、間違っていない。
そう思って。
悼む正しさはどこにあるのか。
正しさなどないかもしれない。
僕は、君を失ったらどうするだろう。
君にそう問いかけてみた。
分かんないよ。そのときの君が決めれば。
どうしたって、いいんだよ。
その答えを聞いて、僕は君といて、君を選んで、君も僕を選んでくれて良かったと思うのだった。
雨が降る。
涙のように激しい雨。
Squall

DRIVE-IN THEATERでくちづけを

君を迎えに行くよ。
そんな台詞が僕の頭の中で、不意に鳴る。
僕はいつだってこの世界から飛び出す準備をしていて、実際に出られるのを待っている。
世の中では圧倒的多数で男が女を迎えに行き、おしゃれなお店に連れて行く。
甘い酒に付き合い、後でラーメンでも食べたくなるくらい少ないご飯に舌鼓を打つ。
酔っちゃったと肩に頭をのせられ、お会計は男が払う。
これが世の中の圧倒的多数。
割り勘だったり、女が払ったり、そんなこともあると思うけれど。
酒に弱い僕は、酔っちゃったと言いたいし、仕方がないなと支払いを任せたい。
気がつけば服を脱がされ、暗転し朝を迎えたい。
何時間でも膝枕されたいし、できれば養われたい。
何より働きたくない。
僕は童話のキリギリス。
楽しいことだけしていたい。
現実から逃げたい。
家事も仕事も放棄したい。
僕が好きでたまらなくて、僕がいるだけで良くて、お金をくれる人。
できれば美人で若くて可愛くて、仕事も家事もこなす人がいい。
触れない世界に興味は持てなかった。
でも、触れる世界で触ったことはない。
僕は鏡を見る。
いつそんな人が来てもいいように、扉は開けている。
身だしなみも悪くない。
免許はない。
まだ見ぬその人が、僕を導いてくれる。
だから僕には必要ないのだ。
彼女の運転する車に、様々な音が広がる。
髪をなびかせ、時折歌を口ずさむ。
僕の全てが、彼女の理想。
彼女の全てが僕の理想。
理想の二人が奏でる愛のハーモニー。
自然と距離は縮まる。
タイミングをはからずとも、その時は訪れる。
今日もそう。
DRIVE-IN THEATERでくちづけを。

とりビー!

真横に置かれた、グラスに映る顔。肉を頬張るそれを見て、年齢を意識した。
ほんの少し前までは、若く見られていて、老けて見えるよう、貫禄を出せるようこころがけていた。
よく冷えたビールをうまい、と無理やり飲んでいたし、うっすら生えるひげを伸ばしてみることもあった。
自分を自虐的に年寄りだと言うこともあった。
僕は、年寄りになっていた。
言葉は言霊。本当のことになるから扱いに気をつけたほうがいいと、変わり者の奴に言われたことがある。
少し出た腹を撫で、本当にうまくなってしまったビールを流しこむ。
付き合いで頼む脂っこい料理を好むようになったし、塩辛い体に悪そうなものも好きになった。
聞き慣れた着信音。
「今?宅飲み中。オジサンの晩酌、付き合ってくれない?」
実際、オジサンに変わりはない。アラフォーだ。
電話相手もだが。
「しゃーねーなぁ。王子が言うなら、いっちょ行きますか」
彼女は僕を王子と呼ぶ。
僕は彼女を姫とは呼ばない。
呼んで恋愛になるのが怖いから。
アラフォーの恋愛など、数年振りの恋愛は僕の範疇に負えないから。
僕はずっと、彼女を名字で呼び捨てる。さん付けしないのは、せめてもの親しみアピール。
彼女の明るさと親しみやすさに、僕は救われる。
恋人でなく、もっと気軽なオトモダチ。
オトモダチからの格上げを、もしかしたら願われているのかもしれないけれど、今日も気づかないふり。
いつまで、我慢してくれるかな。
いつか、彼女は去っていくのかな。
何も言い出さない僕を見切って。
彼女が来るまであと数分。
涙の跡は悟られないよう、小細工を始める。
本当は泣き虫の僕。三つ子の魂百まで。
変わるわけないじゃん。
こんな僕を、愛してよ。
言えるわけない。
もう少し腹が出て、もう少し顔に肉も付いて、彼女が僕を王子と呼ばなくなったら、そしたら、言ってみようかな。
やっぱり言えないな。
さて、来るまでにもう一本。
とりビー!

squall

訳のわからない歌詞が流れていると落ち着くのは、僕だけだろうか。
意味が分かると、そちらに意識をむけてしまう。
分からないと、気にしなくていいからいい。
誰も僕のことなど気にかけない。
広くも、狭くもない。
誰もが目の前の自分のテリトリーに夢中だ。
この静謐を、僕は愛する。
その場にいる人誰もが、押し付けがましくもない。
僕は、この中の誰とも親密な話をしたことがない。
当たり障りのない日常会話ですら、記憶にない。
それが許される場なのだ。
腫れ物だから触らないのではなく、誰も僕のことなど気にかけていない。
そう。それが、単純で大事なこと。
人それぞれ、好みや価値観がある。
安さを重視する場合もあるし、人柄を重視する場合もある。
質を重視する場合も、量を重視する場合もある。
僕が重視するのは静謐である。
変化は構わない。調和がそこにあるなら。
急ぎ、慌て、ミスを誘発するような、そんな変化は厭う。
時の流れは僕のペースを待たず動く。
それが心地いい時もあれば、負担に思う日もある。
浴びせられる言葉、映像、香り。
勢いに気圧されて、息が詰まる。
防ぐように、逃げるように、僕は感覚をヴェールに包む。
たとえばマスク、帽子、伊達メガネ、イヤホン。
装備を調え、僕は道を歩く。
自覚すればするほど、いかに自分が気持ちを抑えていたかが分かる。
小雨の降る日、寂れたバス停の前で、熱っぽく見つめられた瞳。
夕暮れ、エメラルド色をした屋根の下でふいに握り返された手のひらの感触。
大きすぎる器に盛られた、僕の舌には甘すぎるケーキに、満面の笑みを浮かべていた。
あまりの甘さに辟易と、苦戦していた僕は、僕の分まで進呈した。
今思えばあれは、君を喜ばせたかったから。
そんなつもりはないと、君の熱意を砕いてしまった。
懸命に表情を取り繕い、唇を噛み締めたのさえ、見惚れる。
それを見つめ続けそうになる自分が嫌で、早急に、足早に、去ったんだろう。
その時は、そんなことを考えもしなかったが。
帰宅する途中で届いた、お礼メールの意味を何度も反芻した。
今日はありがとう。
勝手に舞い上がってしまってごめんなさい。
これからもよろしく。
君を、舞い上がらせた。
君が僕に恋したのか。
じゃあ、僕にこれっぽっちも気持ちが、本当になかっただろうか。
返信しなかったせいで、きっと、君の孤独は増したに違いない。
僕の脳内に思いと言葉が激しく交錯する。
squall。

何をするにも疲れて、初めて僕は、疲れていると知った。
空腹に耐えかねて、買ってきたオムライスを温めている間、テレビを久々に見る。
不正や汚職など、暗いニュースが目につく。
もし僕がスポーツ好きで、余裕も才能もあったなら、スポーツを続けていただろう。
モテるため、偉そうにするためにスポーツしていると、明言しなくても自然とそういう振る舞いをしてしまうだろうか。
そうして、いつしか、競技への熱が別の方向の熱へと変わるだろうか。
もし僕の頭が良くて、順風満帆な人生を送っていたら、ある日本当はしてはいけない何かに手を染めてしまうだろうか。
そして、世の中から糾弾され、批判され、丸めこむ言い訳を偉い人と相談するのだろうか。
疲れているのに、頭は動く。
あるいは、僕が知らぬ間に陥れられ、挫折を経験するのだろうか。
僕とは関係のない世界を眺めながら、僕の想像は僕の世界を越えていく。
いずれにせよ、目の前の現実には、毒にも薬にもならない。
朝から降り続ける雨のように、僕の思いは止まない。
食べたいもの、したいこと、すべてが僕を包んでは、いらないだろうとかき消される。
買っては捨て、迷い、あがく。
僕の欲しいものは何か。
幸せは何か。
僕は考える。
思考の海で溺れるように泳ぎ、オムライスのケチャップはすっかり元の状態へ固着していた。
温め直すのすら手間で、冷えきったそれにスプーンを差し込む。
黄色、茶色、赤、緑。彩りが僕の目から、鼻、そして口へ。
いつしか溶けるそれらを、生きるために食べる。
楽しみは何か。
欲しいものと同じくらい、難しい。
環境に頼ってきた。
こうなればこうなれる。
これは、楽しみや、欲しいものか。
答えはない。あるいは、これが答えか。
暁。