創作再開しました。不定期更新です

豆乳生活

やめてみた。たくさんのことをやめてみた。

 

まず、服にこだわることをやめてみた。毎日似たような無地のものを繰り返し着ている。古くなればまた似たようなのを買えばいい。考えなくていいから便利になった。

 

次に、体に悪そうなものを食べるのをやめたみた。炭酸やファストフードなど、思い返せばずっと、僕は身体を労わることを怠ってきた。それから、とりあえず色々含まれていないものを摂取するように心がけている。効能はさほど実感がないが、大幅に崩していないところを考えると正しいことをしている気になる。

 

そして、仕事をやめてみた。理不尽な欲求や、高圧的な暴言に耐える必要がなくなった。日がな、目が覚めた時間に起き、眠くなると寝ている。外に出ることもあるが、最低限で突発すべきこともない。

 

元々、ものを少なく暮らしてきた。家にいる時間が長くなるほど、いかに僕はものに囲まれて暮らしていたかを実感した。そして、いかに必要のないものが多いかを学び、すぐにものを持つことをやめる生活を始めてみた。

 

すぐにテレビがなくなった。最初は、寂しさを紛らわす貴重な手段の一つだった。しかし、次第に一方的な情報を垂れ流されるのが、不愉快になった。向こう側の貼り付けたような上機嫌に僕が、ついていけなくなったのかもしれない。

 

ありとあらゆる、いわゆる暇つぶしの嗜好品的役割を果たす、電化製品が消えていった。鍋と、必要最低限の食器と、衣服と、布団。布団がなくなれば、大きめの旅行鞄に全てが収まってしまうくらい、ものが少なくなった。

 

重いものを持たなくなった。負担がかかればしんどくなってしまう。しんどいことはやめるべきだと、仕事をやめたときに学んだ。気晴らしに出かけた図書館で読んだ本にも、好きなことをしなさいと書いていた。時間ができてから、僕は活字と触れる機会が多くなった。読書家というほどではないが、本は増えている。

 

今僕は、僕のために生きている。だから、人に連絡することがなくなった。一人で生きていくことは、最初こそ寂しさを感じたが、慣れてしまえば楽だった。僕は僕の機嫌と調子で、僕の声を聞いて行動すればそれでいい。

 

僕と向き合えば向き合うほどに、僕がいかにわがままな人間だったのかを思い知らされた。優柔不断で、1日のうちに予定変更を何度もしてしまう。どうりで人間関係にほころびが出やすいはずである。僕のような人間は、これ以上他人と関わりあうべきではない。関わるのをやめたのは実に英断であった。

 

さて、もし僕が、僕であることをやめたら、どうなるだろうか。僕が僕でなくなることは、ひどくたやすいことのように思う。やめていくことに慣れてしまえば、抵抗がなくなる。とうにやめてしまったコーヒーの代わりに、豆乳を飲みながら思考する。豆は身体にいいらしい。そのせいか、病気をしなくなった。僕の肌は誰にも見られることなく、どんどん白さを増す。目新しさもない代わりに、落ち込みもない。

 

自分本位に生きることは、素晴らしいようで虚しい。世界の終わりが今日でも明日でも、構わないとさえ願う。苦しみも悲しみもない代償に、僕は他の感情すら薄らいでいきつつある。この豆乳が、水道水でいいと変化し、衰退した暁には、僕は僕でいることをやめられるだろう。

 

さようなら、みなさま。ありがとう、世界。まだ残る感情を、今ここに、記しておくことにした。僕のような人が、増えないように祈りを込めて。

路地裏の木漏れ日

「それ、絶対伝わってないよ。いいの」

 

絶対のぜがずぇに聞こえるくらい目一杯引き伸ばされて、それがおかしく笑ってしまう。僕のことを思っているという彼女の身勝手な慈善によって、僕は話せば話すほど悲劇の役者になっていく。

もし僕が泣いて喚いていたら、駄々をこねたら、未来が変わったんだろうか。

 

日の差し込んでやや暑いカフェのカウンター席で汗をかいたアイスコーヒーは薄くなり、もはや二層になっていた。かき混ぜてすするそれはもはやコーヒーの香りだけが残る水で、一口飲んでそのまま元の場所へと返す。かといっておかわりを頼むほどの金銭的余裕はなく、こんな貧乏のヒモだから追い出されるのだと、にわかに悲しさがこみ上げてきた。

 

「ね、いいバイト教えてあげよっか」

 

「断る。僕は高等遊民を貫くんだ」

 

そう。いわゆる意識高い系のヒモだった僕は、彼女の転勤と共に捨てられた。

 

「君かわいいから、またすぐに相手見つかるよ」

 

シャツから覗く胸元のほくろを見せつけるように、最後のキスを済ませた後は、もう何の未練もないのか振り返りもせず去っていった。

 

「今度は本気で付いて行く気だったし、僕だって向こうでちゃんと働くつもりしてたんだ」

 

「もうかわいいって歳でもないもんね」

 

痛いところを突いてくる。かわいい年上キラーにも年齢というどうしようもない壁は忍び寄ってくるもので、おかげで僕は捨てられてからかれこれ二カ月友人の家を順々に居候し続けていた。もう限界である。

別に相手がいなかったわけではない。でも、違うのだ。うまく説明できないが、僕の直感が違うと言い、純粋にご飯をご馳走になった後はそのまま帰宅している。

 

「万能主夫は、もう用済みなのかな」

 

ありとあらゆるアプリや掲示板を駆使したり、ヒモを好みそうな女の好きそうなカフェやバーで物憂げに座ってみたり、努力は欠かさずにしてきた。でも何にせよ、違うのだ。努力の方向性が違う。どうしてか、気持ちがすっきりとせず、何をしていても落ち着かない。

 

「諦めてバイトしなよ。私んとこのバイト先、結構女の子多いし」

 

女の子多い少ないの問題でなく、ヒモを養えるかどうかの経済力が問題なので、たかがチェーンの居酒屋バイトごときではヒモ養いを期待できそうにもない上に、労働をやむなくするにしても重いものを持ち運びも、夜遅くまで大声を出すのも、いずれも絶対にしたくない。1番の問題は、

 

「うん数年の空白期間をどう説明したらいい」

 

履歴書の書き方すら忘れてしまって、先日仕方なしに出向いたハロワでは失笑を買った。いや、就職だとか、働くだとか、それがしたくないのではない。

隣に、いつも隣にいて当たり前だったあの笑顔がなくて、それでへこんでいる。今までわがままに振る舞い、ときにはこちらから出ていくこともあり、人そのものを財布としてしか見ていなかった。僕のしたい生活を叶えてくれる理想の人を求めていたはずだった。

 

「語学留学してたとか」

 

趣味で旅行はするが、いつも通訳してくれるのも金を出すのも相手だ。いかに自分が恵まれた環境で暮らしていたか思い出される。

あれから趣味だと思っていたひとり旅もしてみたが、物足りなく、住んでるときはあった不満の一つや二つすら、思い出になってしまえばいとしさしかなかった。

 

「もういっそ転勤先追いかけちゃえば」

 

渋い顔をし続ける僕にとうとう呆れ、投げやりなアドバイスをもらう。木漏れ日が揺らぎ、希望が満ちる。

 

「ありがとう、行ってみるわ」

 

僕の主義、誤魔化さずに砕けるしかない。本当に好きだから、本当に一緒にいたいから、もうヒモじゃなくていいから、僕も働いて頑張るから、目が覚めたんだ。もう、他の人なんて考えられない。

だから、会いに行っていいですか。

 

 

 

 

水中花籠

水泡が消えた。それですべてだった。

 

涼しげな目元をしていた。音もなく笑う人だった。昼飯は欠かさず汁物を買う人で、箸をつけるのは汁物からという自己の流儀があった。箸が必要以上に汚れないための食べ方らしかった。背筋をピンと伸ばして食べる姿も、歩く姿も美しかった。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、とはまさしくあの人に当てはまる言葉だった。

 

一挙一動に見惚れた。白くてもあの人が黒だと言えば黒だった。どんなことを言えば笑ってくれるのか、そればかり考えた。微笑んでくれればそれだけでお腹いっぱいになれた。あの人の好むものを僕も全力で好んだ。気があうと思われるのが嬉しかった。

 

特別な関係は望んでいなかった。踏み込むのが怖くて、臆病な自分を肯定して、個人的なことを聞くのは避けていた。聞いてしまったら、うまく処理しきれない自分が嫌になってしまう。表面だけでも取り繕って、その他大勢、あわよくばそのうちのひとかけら、友達でも恋人でもない位置にいさせてほしかった。

 

責任を取るのは嫌だ。重要なことは主役に任せておけばよくて、僕なんかは消えてしまってもわからないくらいの、添え物の存在でいい。だがそれは一方で、過度の承認欲求の裏返しとも呼べないだろうか。認められたいしお近づきになりたいし昼夜問わず生活を共にしたい。でも自信がないから「そんなことは求めていない」という顔をしたがるのではないだろうか。もしあの人が、今のままの僕でいいと抱きしめてくれたなら、僕はそれをあの人に返すことができるだろうか。

 

暇さえあればあの人のことを考えそうになるので、必死に別のことにも夢中になるようにした。傍目にそれは、仕事のことしか考えてないような勤労精神旺盛な、仕事人間のように映っただろう。

 

こんな僕は誰かを愛する資格があるのだろうか。あの人が僕に笑いかけてくるようになって、決して気のせいではないのだと認識せざるを得ない段階になって、もしかしたらこのまま、と先を空想しそうになるたび、繰り言のように考える。

 

 幸せを空想するのと同じだけ、最悪の想定をした。罵詈雑言を受ける夢、蔑まれる夢、別の誰かと微笑みあうあの人を眺める夢、そしてそれが、複数人いたという夢。

 

結局のところ、僕は勝手なあの人の偶像を好きになっているに過ぎず、何もあの人のことなどわかってやしないのだろう。いや、それもまた裏返しで、僕とあの人は表裏一体で僕はあの人の全てを把握しており、意識できていないだけで相性はばっちりで、何の不足もないお互いを補いあえる関係なのではないか。

 

いつも変わったお茶を飲んでいる人だった。

 

 「水中花籠、っていうんです。綺麗な花が咲くでしょう」

 

僕は何と答えたのか、もう覚えていない。近頃とみに記憶がおぼろげだ。ただそのとき僕は、花のようなあの人の、一番美しい姿をそのまま閉じ込める方法を知った。

 

「これでずっと一緒だね。」

僕のメリさん

午前7時21分、いつもの電車に乗り込めば、物憂げな表情のあの人と出会う。片手にはカバーのかけられた文庫本。

世界中のどこを探しても彼女ほど文庫本の似合う人はいないと思う。彼女の、その少し日に焼けた健康的な肌には、クラフト紙のカバーがよく馴染んでいる。彼女の住まいの近くにはあの書店があるのだろうか。僕は全く本を読まない。だからよくあるチェーン店なのか、個人書店なのか、その区別もつかない。もとよりそんなことを確かめたいとも思わない。そもそも本屋に行かないからだ。活字を見ると眠くなってしまう。何よりあの、本屋に漂う独特の、紙の匂いというのだろうか、得体の知れないこもった匂いに辟易としてしまう。

耳から流れる音楽を聴きながら、不審に思われない程度に彼女を眺める。僕より先に乗り込んでいて、僕よりずっと先で降りるのだろう彼女は、月並みな表現をすれば美しくて、仕事のできそうなOLだ。

きつく引かれた黒のアイラインに、薄い茶のアイシャドウに、真っ赤な口紅。土曜も休みなく働いているところを考えると、仕事は商社だろうか、いや、銀行員かもしれない。保険の営業でもいい。彼女のためなら親戚中から土下座してでも契約を頼み込んで営業成績に貢献する。まぁ、そんなことをしなくても平然と、しかし丁寧に仕事をこなしそうではあるが。

僕は勝手に彼女をメリさんと呼んでいる。理由は、僕の唯一知ってる海外作家がモンゴメリだから。そして彼女がとても外国風の雰囲気を持っているから。モンゴさんだと野暮ったいから、端の二文字から借用した。自画自賛だけどとても素敵な命名ではないだろうか。

メリさんが何を読んでいるのかは、わからない。僕が中学生のときに読書感想文用にがんばって読んだ文庫本よりだいぶ分厚い本を毎回読んでいる。悲しい話なのか、単にメリさんの顔が物憂げ気味なのかわからないけれど、大概忙しさにかまけて連絡を怠ったばかりに男に振られたキャリアウーマンみたいな、そんな顔をしている。

紺のストライプ地のパンツスーツに、第1ボタンが元からついてないカッターシャツを着ている。履いて長らく経つであろうパンプスは、磨いて丁寧に手入れされており、隙のなさを感じる。右の内側手前がやや擦れているから、内股で歩いているのだろう。

背丈の割に足は少し大きめで、パンスト越しに映るすらりと伸びた長さは胴よりずっと長い。細くも太くもなく、許されるなら柔らかな感触をずっと手のひらで感じていたい。

メリさんはどんな声で話すんだろう。どんな笑顔を見せるんだろう。話しかけて笑ってほしくなる衝動を抑えて、下車する。僕は所詮メリさんに取って赤の他人であって、登場人物にすらならなくて、無理やり彼女の舞台に上がったとしても、役柄で言えば通行人止まりだ。僕には僕の日常があるように、彼女は彼女の時間を生きている。決してすれ違うことのない平行線を歩むだけ。

せめて今はこの目に焼き付けて、また次の逢瀬まで、僕の一方的な恋を続けさせてほしい。誰にも迷惑はかけないから、この思いを秘めさせて。

どうか、明日もお元気で。また7時21分、3両目で会いましょう。

りんご姫

気がつくと首を絞めていた。真っ赤な頰に、長い睫毛をした君の。

 

「最近楽しいことがないの」

そうだね、と同調した僕は、君と繁華街に繰り出した。きらめくネオンサインを登り、扉を開けた。

君は一本調子で、ほとんど感情らしい感情を確認できなかった。僕はただただ疲れてしまって、おまけにあの時から時間も経ち過ぎているから、楽しい時間を過ごせたかどうか、わからずじまいだ。憶測だけれど、きっとあんまり楽しくなかったような気がする。だって、僕らにはどうも不釣り合いな場所だったから。

今度は別の楽しいことを見つけよう、と言った僕に、君がなんて返事をしたか覚えてないけど、またおいでよと言ってくれたことだけは、覚えていた。

 

しばらく、と言ってもそれほど間隔のあかない間に、君に会いたくなって、今度は遠路はるばる会いに行った。

相変わらず変わらなくて、手を繋いで恋人ごっこをして、少し顔色のよくなった君は、退屈だけれど元気だと笑った。

僕は少し嬉しくなって、また来るねと笑顔で帰った。

 

「最近よく眠れないの」

見ない間に、僕も君も歳をとった。まるで他人事のようにつぶやく、くまをこしらえた君が心配だったから、それならお薬を処方してもらえばいいんじゃないかなと助言した。

薬の力には頼りたくないとごねる様子に、無理にでも寝たほうがいいよと後押しをした。

首を傾げて、そうかなという声は、やっぱり大したことではないとでも言いたげに、か細く聞こえた。君は前に見たときより、少し細くなっていた。

真っ白で、生命線だけがやたらと下まで伸びている君の手。僕よりかなり大きな手のひら。だけど手首は、僕の短い親指と人差し指で、囲えてしまうほどになっていた。

出会った頃から細くて、折れそうだと思っていた身体は、いっそう折れてしまうそうになった。

楽しいことにも、楽しくないことにも、何もかもがどうでもよくなってしまったみたいな君は、虚ろな瞳を僕に向けた。

それでもまだ、また来るといいよと、その気はなさそうな口調で付け加えてくれた。

そしてついでのように、僕のことはどうでもよくないんだよ、とわずかに微笑んだ。ほんのちょっぴりだけ、安心をして、気丈に振る舞うため大げさな笑顔を作って、大げさに手を振って、僕らは別れた。

 

綺麗だった黒髪は、赤茶混じりのパサついた髪へと変わっていて、それはもしかしたら僕が、少し色でも入れてみたら気分転換になるんじゃない、と言ったせいかもしれないと思い至った。

無責任なことにいつ言ったのか覚えていなかったけど、確かに言ったかすら怪しかったけど、もっと恐ろしいことに、君はこうのたまった。

 

「最近時間の感覚がないの」

「もうすぐ死ぬのかもね」

縁起でもない、とかそういう類の言葉を返しながら、おかしなことではないと思った。君は元から美しすぎて、まるでこの世のものではないようで、あちこち身体がおかしくなるのもこの世の食べ物が口に合わないからで、無感動に見えるのも君の美しさから比べれば他のことなど欠片ほどの価値もないのは当然のことだからだ。

 

「だから、殺したんです」

 

「真夜中に目がさめると、隣で寝ていた「彼」の両手両足がまっすぐ上に伸びていて、どうしようもない恐怖に取り憑かれ、手近にあったティッシュを空いた口元へとどんどん詰めたけれども一向に状態は変わらず、叫ぼうにも声も出ず、最善の策を講じた結果、首を絞めた、でまちがいないですか」

 

はい、と首を深く垂れた女は愁傷そのもので、「僕」と名乗る以外はどこにでもいそうな外見をしていた。

「彼」に身寄りはなく、頻繁に連絡を取り合っていたのは、この女だけだったようだ。元はモデルをしていたらしいが、「お付き合い」で生気を奪われでもしたのか、その片鱗もなく、精神を病んでいた。

 

「姫は、生き返りますか」

 

付き合う男をもう少し選んでいれば、こんな結末にはならなかったろうに。同情を込め、軽く撫でた髪からは、ほのかにりんごの香りがした。

今 このひとときが 遠い夢のように

僕のおもちゃ。
賢くないけど従順で、束縛は嫌がるけど束縛したがる。
座りすぎてスプリングのきかないソファに遠慮がちに転がっている。
初心を気取って俯いた顔から表情は読み取れないが、どうせ大したことを考えてはいまい。

雛のような甲高い声は偽りで、僕の興味をひきそうなことを足らない頭で考えている。
共感ばかりする面白みのない女。
どこで覚えたのかすごいとさすがと優しいねの連続で飽き飽きしてくる。
世間知らずで語彙も知識も経験もない。
愛嬌がいいのだけが救いで、そうでもなけりゃすぐにおさらばするだろう。

脳みそには甘いミルクティーかカルーアミルクかが詰まっているらしく、喋るとちゃぷちゃぷ下品な音が漏れ聞こえるようだ。
知性のかけらもない代わりになけなしの成長成分は胸にいったらしい。
犬かねこ。すぐ泣くところを含めると犬のほうが近いかもしれない。

思い始めると幻影でしっぽが見える。
僕が近寄ればあからさまに表情を変えしっぽを振る。
庇護欲を醸しだすことで生き抜いていく哀れな人生。
若くなくなれば、あとは勘違いを繰り返したまま悲惨な末路を辿ることだろう。

飼い殺して、飽きれば見捨ててやればいい。
最後まで面倒を見る気はない。
捨てられそうな気配を察知するのは長けているのか、敏感に僕の表情を伺っては、お愛想を言ってくる。
僕への興味ではなく、僕のステータスへの興味のためだけに、献身を繰り返す。
内面への興味だとお前は誤魔化しているけれど、取り繕ったような、貼り付けたような笑顔では全く繕いきれていない。

僕にふさわしいのは、教養のある上品で美しく慎ましやかな大和撫子
僕ほどの経済力と知性があれば、決して高望みなどではないし、生涯のベストパートナーとなるのだから、熟慮に熟慮を重ねなければならない。

「ずっと一緒にいようね」

睦言は枕元だけ。
今このひとときが遠い夢のように。

硝子のうさぎ

辺りは風が吹きすさんで、もう夏だというのに肌寒かった。
だけど、ポケットから取り出したチョコは半分溶けかけていて、生温い甘さを水で流し込んだ。
飲み慣れないコーヒーでも飲めばいいのかと思ったけれど、あいにく周囲には居酒屋ばかりが目について、一人で立ち寄れそうなところはない。
携帯に表示される既読が僕の胸を締め付けてやまないのに、それを訴える相手もいない。
風の音だけが執拗に僕の聴覚を刺激し、あてもない散歩を引き延ばさせる。

「おーい」
「さみしい」
「忙しいの」

どれも送れない。度胸がなく寂しさを飲み込んでしまう。
お腹いっぱいに寂しさを詰め込んで、もろくて今にも割れてしまいそうな心をぎゅっと温める。
僕にしか僕を慰めることはできない。

「まぁいっか」

声に出すことで、風が凪ぐ。
一瞬の安心を不安に駆られるたびに掘り返す。
自分で温めてもすぐに冷たくなってしまう。いつもすぐに冷たくなる。
暖かくしすぎると溶けてしまうから、溶けると僕が僕でなくなってしまうから、溶けないくらいのほうがいい。

もしも僕を愛してくれるなら、言葉をくれるなら、僕に好きと言ってほしい。
態度でも愛を示してほしい。僕を抱きしめて、見つめてほしい。
分からないのは嫌だ。本当に僕を愛してくれているのか疑うのも。

今すぐ、僕を見て。
今じゃないとだめ。
重たいなんて言葉、誰が流行らせたの。
遠慮してたのに、ふとしたときに溢れ出してきては僕を戸惑わせる、気持ち悪い気持ち。

君から返事が来ないから、僕は家に帰れない。
嫌いになるなら好きにならないうちにしてほしかった。
嫌いになったのなら言葉で言ってくれればいい。言われたら泣くけれど、言わずに真綿でやさしく絞め殺さないで。

ダイヤルを押しかけては、やめて、また押しかけて、やめる。
僕を探して、僕のことを考えて。1日のうち半分くらいは、僕が君のこと考えるのと同じくらいには、考えて。

たくさん思ったお願いは、言えないから、伝わらない。
もしかしたら返事が来るかもしれないから。そしたら徒労で済むから。

僕は硝子のうさぎちゃん。
ショーケースに入れて飾って。
ひび割れないように、寂しさで凍えないように、やさしくしてね。
そしたらずっと傍にいてあげる。
君のことずっと、見ていてあげる。