創作再開しました。不定期更新です

あおとお掃除

時々一念発起して部分掃除し始めます。トイレや炊事場やその他諸々。汚いよりは綺麗なほうが好きなので、あまり苦ではありません。ただ面倒くさい精神をたくましく育てていますので、定期的にとはなかなかいきませんが。

掃除の何が1番いいって、何かを捨てる開放感です。あれもこれも結局使ってない、もういらない。なんて気持ちよくポイポイ。心踊ります。鼻歌も歌います。
どんどんミニマリズムにしていきたいので、シンプルかつ最小限に、カスタムできたらいいなと思っています。うまくいくかはさておいといて。
捨てたい候補はまだまだたくさんあって、その度に僕は現実や将来と向き合います。今度洗剤買い足すときはマルチなやつにしていちいち迷いたくないなとか、掃除機は壊れたらクイックルワイパー買ってごまかそうとか。万が一にも引越しになったら、布団はいい加減処分して軽くてお手頃なやつ新調しようとか。洗濯機壊れたらもうコインランドリー生活にしようとか。そもそも服も減らそうとか。

言い出したらきりがないですが、そういう処分を考えるのは楽しいです。でもほしいものもそれなりにあって、ほんとに使い続けられるのか考えながら戦っています。たとえば、そうだなぁ。茶碗蒸し作るやつほしいなとか。100円だし買っちゃおうかな?なんて考えだすともう散財なコースです。あったらいいなは心を豊かにするのは、そりゃなんとなくはわかりますけどね。
さて、そろそろ将来見えないかな、見えないよな。仕方ない。せめてルーティン作りたいなぁ。そのためにもやっぱ、環境を整えないといけないんでしょうか。お掃除、お掃除。

あおとアイドル

僕にとってのアイドルはカワイイをきちんとこなしている子で、それは何もテレビの中だけでなく、隣のクラスのナントカちゃんとその隣のクラスのナントカちゃんと、みたいに単純に僕がカワイイと思えばアイドルだった。
テレビの中ももちろん大好きな人たちは大勢いたけれど、ヒロスエだったりやぐっちゃんだったり、まゆゆだったり、僕がカワイイと褒めまくってた女の子はもう女の子という歳でもなくて、新しいアイドルは日々テレビを賑わせている。

テレビを賑わせなくなっても僕はヒロスエもやぐっちゃんもまゆゆもずっとアイドルだと思っているし、カワイイとも思い続けている。5秒どころじゃなくてマジで恋しまくってる。ヤバみ。
アイドルといえば2次元も好きで、アイマスはアイドル業界の厳しいところを何となくかいつまんでいるくらいのほわほわとした感じが現実より心地よかった。
カワイイものは好きだ。カワイイを頑張っている人が好きだ。カワイイのために一生懸命になれる人に憧れる。チヤホヤされる権利のある人たちだ。チヤホヤと代償に大きな犠牲を払っていると思うと頭の下がる思いがする。なんてカワイイは疲れるんだろう。
僕はアイドルになろうと憧れたことはなかったが、最近になってカワイイを頑張り始めた。カワイイは作れる、は有名な標語だが、カワイイは疲れる、はもっと推していかなければならない事実だ。カワイイは無償ではない。対価を支払わなければ得られないのだ。
カワイイは正義である。但し正しいカワイイはない。全てが対価を支払うべきに値する作られたカワイイであり、それに間違いも正しいもない。そういうものさしはないのだ。
だから僕はアイドルをカワイイと褒めそやす。今のイチオシは平手友梨奈ちゃんである。アラサーがセブンティーンにメロメロ。いいじゃない、だってアイドルはカワイイんだもの。

『よだかの星』考

宮沢賢治よだかの星』について
独断につき批判はご遠慮願います。

 

善人に対して世は冷淡というわけではない。たとえばよだかのように、自身の自己肯定感が低く、容姿も侮りやすく、自分よりも格下と決めつけやすい「弱者」であれば、人は簡単に差別する。

 

何も能動的に悪いことをしなくても、嘲ったり傍観を決め込んだり、そうしていることも良いことではない。

 

よだかの中で話し相手に出てくるのはかわせみの弟くらいで、それも理解者がどうかははっきりしない。かわせみはただ己の寂しさだけを述べている。もちろん会話は救いになり得る。しかし、彼の苦悩を解消する手立ては無いに等しかった。

 

太陽、星とお願いに回るシーンも印象的である。自然界で地位あるものへの願いは、しょせんただの一介の鳥では叶えられない。これもまた涙を誘う。

 

たらい回しにされ、無視されるかなじられるか、いずれにせよ非建設的な時間を過ごす。

種族にも自然界を牛耳る権力層にも見放され、そうした中で最期のシーンへと続く。

 

あがく。もがく。朽ち果てようとも。
ただの鳥でも、道を切り開こうとすれば開ける。その身を主張することができる。大空に燦然と輝く一部に。


決死の覚悟で向かえば、立ち向かえる。個人でも闘える。死を背に腹をくくって生きる。そうすれば、全力を尽くす先に得られる素晴らしいものがある。

 

宮沢賢治がそんなことを意識して書いたかどうかはわからないが、僕はこの話に「もがき苦しみ迷いながらも、最善を尽くす情熱」を感じる。


何度断られても、くじけかけても、最後の全力まで努力を重ねればきっと報われる。それは、彼自身がどこかで感じていた自身の創作に関する姿勢のようにも思われる。

雨降りには紫陽花を添えて

学校帰り、何でもない会話をしながら、6月11日17時5分というこの時間を忘れないでおこうと思った。片付けとか面倒なことは嫌がってしない私が、写真の共有サイトや地域の噂話コミュニティや、本当か嘘かわからないものまで頼って調べて、やっと場所を決めた。

 カフェに行ったあとは、オシャレな雑貨屋さんに寄って、オソロのヘアピン買うのはどうだろう。プリクラはやっぱ定番かもしれないけど、写真が嫌いだって言ってたからやめといたほうがいいかもしれない。私はオソロもプリクラもしたいけど、彼氏が嫌がることはしたくない。

 ハツカレ。私、彼氏できちゃったんだよ。腕組もうとしたらはしたないって怒られるし、手も恥ずかしいって繋いでもらえないけど、でも、ちゃんと彼氏。周りのみんなに自慢したくなる。長い黒髪に自然と上向きにカールしたまつ毛、人形みたいに白い肌に、桜色の唇。私にない色んなものを持っている素敵な彼氏。

 

「マキちゃん。マキちゃんは物語の主人公になれるとしたら、何になりたい」

 

 じっと聞いていたくなるくらい高くてかわいい声。子鹿が楽しそうに飛び跳ねてるみたい。

 

「私、お姫さまがいいな。真っ白のドレス着て、素敵なお城に住むの」

 

 やたらとでかくて何の膨らみもなくて、声も低くて怖そうなうえに、目つきもそんなに良くない。おばけみたいって言われて泣いたこともある。そんな私はお姫さまになりたくて仕方ない。

 

「想像するだけでとても素敵だよ。いつか、そんな写真撮ろうね」

 

 「ユキちゃんは、白のタキシードか燕尾服か、何でもユキちゃんが着たいの着て隣にいてね」

 

 僕はカメラマンでいいよ、と笑う私よりも30センチ低い、私がなりたくてたまらないお姫さまみたいにかわいいユキちゃんは、かっこいい王子さまになりたくて仕方がない。私たちはとってもあべこべ。もしも逆転できたなら幸せだったのかもしれないけど、こうして出会えたから今の姿も悪くないと思える。

 路地を抜けたら、カフェが見える。今までの梅雨は雨ばかりで憂うつな気持ちになっていた。今は並んで歩くだけでどこにいても晴れ晴れしい。おまけに今日は初めてのデート。ただ、どうしても私の気持ちはデートの計画があんまりすぎて、もしかして嫌われてしまったらなんて暗いほうへいってしまいそうになっては、現実に戻されている。着いてから席についても私はそわそわと落ち着かない気持ちでいた。

 

「大丈夫だよ、マキちゃん。僕も今日がとても楽しみだったし、なかなか眠れなかったし、おまけにさっきから手が震えてる。情けないね」

 

にこやかに笑ってくれるユキちゃんは頼もしく、店内に漂う甘い香りを嗅ぐ余裕が出てきた。

 

「季節限定のあじさいパフェ食べたい。」

 

 調べたときから、大好きな紫色の寒天とマーブルチョコアイスをうずまき状にしてかたつむり風に見立てたのが素敵だと気になっていたのだ。あと期間限定とつくとついつい頼んでしまうから、期間限定は本当にずるい作戦だと思う。

 

「僕は、えっと、無難にホットコーヒー、いや、こっちのエスプレッソ、やっぱりアフォガート、待てよ、店員おすすめの日替わりドリップコーヒーとやらも」

 

 お弁当のおかず交換で迷うユキちゃんは、想像した以上にメニューで迷っていて怒られるから言わないけどかわいかった。結局私のどちらにしようかなでアフォガートに決まり、外に目をやる。

 

「この後、どうする」

「今日のデートは全部、マキちゃんの好きなところに行こう。マキちゃんの好きなもの、もっと知っていきたい」

 

 ちょっと私の彼氏、かっこよすぎませんか。

なおしほし

お題箱から。

貝殻を集めるのが好きな男の子と星を集めたいと言う男の子のちょっと不思議な話

 

貝から音がすると言う。波の音じゃなくて、砂のこぼれる音でもない。僕の聞き間違いでも、おぼえ間違いでもなければ確かにこう言った。

「星の音がするんだ」

星に音があるのだろうか。遠い空の向うにある星たちは今も軽い明滅を繰り返すばかりで、長い筒を通して見ても、それが高価で性能の良いものでも、やはり音は聞こえなかった。

親の財布をかなり涼しくさせた立派な天体望遠鏡から視線を降ろすと、途端あまりきれいではない景色が見える。それでも静かな点はたいそう気に入っている。相変わらず夜遅くまで働いているスーツ姿の人たちが歩いているばかりで、車道と少し離れているからエンジン音はしない。外の音を聞き取るよりも、部屋の空調音のほうが鮮明に聞こえてくる。

もう一度空を見上げて思い返したのは、最近教わった理科の授業だ。今見ている空よりもさらに遠い宇宙という空間に音はなかった、とか言ってた。だから星に音なんて存在しない。

いつからだったか、星を眺めるのが好きだった。風の強い日や雪の降るほど寒い日でもベランダに出て、何時間でも空を眺められた。夜の闇に包まれていると、安心して呼吸できる気がした。昼はいやに明るすぎて、学校は最低限しか通えていない。

学校そのものがいやなわけではないと思う。行ったらみんな優しくしてくれるし、勉強もわからないわけではない。ただ朝日が昇る頃になると休みの日も平日も関係なく気分が塞ぎ込んでしまって、頭やらお腹やらの不調を訴えた。最初は心配をしていた母親も、次第にめんどくさそうに電話をするようになった。

病院に連れて行かれたこともあったけれど、とにかく僕は毎日学校に行くつもりがなかった。僕はココロのビョーキならしい。ビョーキのつもりはないけれど、医者がそう言ったのだ。よくわからないがおかげで僕は真面目に学校に通わなくてもよくなった。

さっき開封したばかりの封筒には、また貝が入っていた。気まぐれに学校からの配布物を届けてくれる恭平のお土産だ。恭平はなぜか貝ばかり入れてくる。休みの日は自転車で遠い町にある海まで出かけて、よく貝を拾ってくるそうだ。いつか僕だけの貝を見つけるための研究だと言っていた。僕もいつか自分の星を発見したいと毎日天体観測しているから少し似ている。僕らは全然違う性格だけれど、ちょっと似ているところがあるから友だちだ。

1度だけ、2人でこっそり抜け出して、夜の海に出かけたことがある。星空みたいに波間が輝いて月が映っていて、まるで時間が止まってしまったみたいだった。海は遠いしかなり疲れるけれど、また行ってみたい。

昼はもっときれいだと恭平はうるさく言ってくる。僕はいやだと言って聞かないから、いつもこの話はケンカのきっかけになる。まぁ、いつか、気が向いたら行ってやらんこともない。

貝に耳をあててみる。薄黄色で中途半端に巻いた貝がらからはやっぱり空調の音しかしない。と思っていると、ふいに高い、連続した音楽らしきものが聞こえたような気がした。笛のようなオルゴールのような、いや、僕の知らない楽器の音だ。何度あてても同じ音がする。

恭平も同じ音が聞こえるだろうか。これはもしかするとそのうち星になる貝かもしれない。大発見だ。なら、これは「なおしほし」。僕の星にしよう。

『魔術考』

芥川龍之介『魔術』感想

ネタバレ含む

 

 

欲とは手強いもので、人は一生のうちに欲から離れることなどないのだと思う。

したいこともしたくないこともすべて欲であり、感情を無意識に無にしない限り、なくなることはない。

結局人間という者は実に欲にまみれた存在で、汚く薄汚い。

己もまたそのような汚らわしい一員に過ぎないと主張をしたかったのか、はたまたミスラのような欲を切り捨てた仙人のような聖性を持つ人間を描き、自分もかくありたいという理想を描いたのか。

だが、ミスラにそこまで聖性があるかと問われると、「親切そう」な彼と「気味の悪い微笑」をする彼とがいるので、不完全なものである。

一定以上の位置にたどり着きたければ、あるいは、なんらかの才能を開花させたければ、常人では考えもつかぬような無欲の精神がなければならないという、芸術への理想論なのだろうか。

嫌々カルタを始めた私が、いよいよ最後の瞬間で勝利の欲に目覚め、とうとう金品を手にしそうになる。欲に負けた人間のはしたなさが生々しく描かれていて、芥川作品には、随所にこうした細かい変化を手短かかつ無駄なく書くことのできているよさがあると思う。

欲にも色々あるが、描かれているのは金である。金というのは厄介なもので、あって困るものではない。あればあるだけ嬉しく、ないと困るものである。自身の金品の絡まないところまではまだ許容範囲だとしても、にわかに自分の範囲が侵されそうになると、途端に欲は生まれる。一定を越えない限り、金と無縁でいられない人間の悲しさがある。

僕は彼の書く世界が好きだ。救いのなさそうに見える世界も、目をつぶって走り去りたくなるくらいの暗い世界も、児童向けに書かれた、真っ暗闇ではないが晴天とも言えない曇天まじりの、少し説教くさい世界も、すべて。

彼の話の中に、明るくて空想ばかりのエンターテイメントのような小説はない。無自覚なのと、自覚があるのと両方あるが、いつも誰かが悩んでいたり、苦しんでいたりするような気がする。だから、そうしたものを書こうともしたのだろうか、とも考えてしまう。そして、書こうとした結果、残念ながらそうはならなかった。

 

いや、あるいは、彼なりの新しいお話を模索したのかもしれない。彼は子どもたちに新しい世界を確かに魅せた。

なんでもできる不思議なおじさんか、お兄さんか(僕は勝手に中年と空想をしている。サンタ的なものとして仮定をしてしまうから)は、異国の人でなければならない。子どもが読んで、どこか現実から離れていないとならないからだ。

不思議な人は

 

「欲があっては不思議な魔法は使えないよ」

 

という。

 

「僕、私ならできるよ」

 

子どもたちは声を揃えて明るく、そういうかもしれない。

 

「じゃあ、魔法を教えてあげるね」

 

それはたとえば、魔法という名の「ペットを飼う」かもしれないし、「新しく手に入れる遊び道具」かもしれない。

本当に君はそれを大切にできるかな。優しいまなざしで、彼は問いかける。きっと彼は「魔法」を与える前に与えられる子どもたちに考えてほしいのだろう。

際限なく与えるのは愛でも優しさでもない。怠慢である。よく考えて、それでもなお欲しいと思ったものを、大切に扱ってほしい。願わくば、自身の作品もそのように、よく考える材料のひとつとして、折に触れて再読をしてほしい。

もしかすると、そんな気持ちもあったのではないだろうか。

或る女

これが最後だからと渡された茶封筒には、皺だらけの一万円札が入っていた。額はいつも通りながら、本当にこれが最後と念を押されたことに顔をしかめ、礼もそこそこに立ち去りながら、女は金の使い道を考えて歩く。馴染みの居酒屋で溶かすもひとつ、上等の鞄に変えるもひとつ、久しぶりねと男に貢ぐもひとつ。

そこまで考えてくしゃみをひとつし、あまりに寒いからとりあえず何処か手近な喫茶店で珈琲一杯、暖を取らなければ思考もまとまらないと独り言を言い、歩みを進める。

昼下がり、お昼どきのピークは超えて少し席にゆとりのある店内は心地よく、いつものタバコも美味しく感じる。珈琲とタバコとを吸っている間は、思考もまとまり穏やかに微笑むことができる気がした。貧乏くさいと思いながらも、もみ消すときに手が火傷しそうなギリギリまで吸ってしまう。灰をなるべく机に落とさないよう、執拗に灰皿へと運ぶさまから、女の潔癖なところも滲み出ている。

珈琲を飲み終わってしまってからもしばらく爪をいじったり、枝毛をむしったり、せわしなく手を動かしていると、不意に目の前が暗くなる。

 

「奇遇だね。こんなところで出会うなんて」

 

さて、名はなんと言ったか、しばらく考えても全く出てこない。酒灼けした喉を震わせ、しばらく歓談しつつ、あわよくば会計を任せてやろうと目論んで(だって節約は大事だってよく言われるからサ)いると、出会った女は目論見通り会計を支払ってくれた。幸先がいい。ただ、「また今度ね」という乗り気しない口約束と引き換えではあったが、お互いの常、反故にしてもさして不都合はあるまい。

女と別れ、さも用事があるよう演じて駅までやってきたが、間近なイベントへの浮き足立った雰囲気にどうも耐えかねる。元来派手好みで、決してイベントに対してネガティブな印象はない。ただ、過ごしたいと思える相手がいないという事実が女を予想以上に苦しめた。

 何のために生きてきたのか、どうしてここに存在しているのか、苦しいと自覚しだすと息苦しく、やけに走って適当な番号にかけ、遊び相手を探し出す。幸い、電話帳は充実している。その場限りなど虚しいだけなのに、わかっていながら他の手段を考えられないでいた。

 

「あ、あたしあたし。今駅にいるんだけど、そうそう。急なんだけど会いたい」

 

何人もの別に会いたくもない、名前も顔もはっきりしない人たちに、猫撫で声を出している。不安や焦燥や喪失や何もかもの嫌なものをないまぜにして、火を付ける。

 

「禁煙ですよ、ここ」

 

善意ある一般市民が、自分の正義感をふりかざす。あなたはここにいるべきではありませんよ、そう言われた気がして、不意に涙が溢れそうになった。

会釈ひとつし、その場を去る。予定はまだない。