追憶の雨の中

アラサー。創作をしています。不定期更新です

幸福論

少しずつ少しずつ、小さな口で物が食まれていく。
懸命に顎を動かし、時々噛むのを諦め咀嚼し、これまた小さな手が伸び、つぎのものを取る。
勢いはない。また、ふと視線を反らせば途端にその気配が消えるほど、静かだ。
食べる、とは違う。
話は散歩するが、時々飲むように食べる者もいる。僕にとってそいつは、あまりお近づきになりたくない部類の人間である。
生活環境や、テレビ的な盛り上がりや、あるいは、そう食べる他できないという種々の事情は含みおくが、その行為が僕の価値観では理解致しかねるので、ご快諾いただきたい。
さて、散歩も行き過ぎるとくたびれる。
話は、食む行為である。
これまた独断と偏見であり、裏付けは全く内のだが、食むには、食べると違った静けさを感じる。
懸命に噛んでいながら、粗雑でなく、しとやかに感じられる。
食う、だと、粗野で荒々しく、それでいて、貪るほど、危機に貧していない。
いただくは、上品ではあるが、挨拶でいただきます、という日常に定着した語に採用されているにも関わらず、どこかよそよそしさを感じる。
いわんや、召し上がるに至っては、いわずもがなである。
そして、件の食むに戻る。
日常のささいな、重々しさのない愛着を感じないだろうか。
時が流れ、年老いてなお、変わらぬ感覚を、持ち続けていたい。
君の静かに食む姿を眺め、僕はまた珈琲を啜る。
両手でそんなにしっかりと掴まなくても、トーストは逃げないよ。
日常の何気ない一幕に笑みがこぼれる。
これを僕は命名する。
幸福論。