追憶の雨の中

アラサー。創作をしています。不定期更新です

かぶ草子

リクネタ「御簾にこもる殿方」その2

男は真名扱えてこそ一人前。
貴族の長男として育てられたため、礼儀作法と教養は否が応でも身に付いた。
代々殿上人で上の中の部類。暮らし向きも悪くない。
11歳で元服を済ませ、父と同じ役職を与えられるはずだった。

あと10年、いや、50年早ければ。
時代は上流貴族のみが良い職につけるように変わっていった。
代々先祖が守り抜いたであろう場所は、勢力争いの末奪い取られた。

世を儚んだ母はこの世を去り、父とて急激な老け方をした。
そして「わ」は、あろうことか、「妾」という扱いにされた。
小柄で元服前ということもあり、姫のようであると。
その提案は、妾の元服を手伝う予定であった、ある有力者がした。

幼子が男だか女かだの、親しい家柄であれ、そう分からぬというのだ。
事実、近ごろ妾は御簾の姫君などと呼ばれているという。

後継ぎとして次男を可愛がっていた父は喜び勇んで賛成した。
決して仲違いをしていたわけではないが、亡くなった母君の子である家柄の後ろ盾がない「わ」より、良家出身である次男の母君の機嫌を取るほうが良策と考えたのであろう。

噂を聞きつけた貴族の文が、届くようになった。閑職とはいえ、殿上人の娘である。
今まで噂にならぬくらいの美人な箱入り娘だと、評判はなぜか上々で笑いそうになる。

慌てて伸ばし始めた髪が床を這うほどになった頃、その文は倍になった。
和歌の素養があり字もどちらかというと女らしかったらしく、疑われることがない。
世の中の男どもはこうも頭の弱い連中ばかりだとは。
それでも妾は婿を入れるわけにはいかなかった。

事情を知るのは、身内以外だと側につかわせているうちのひと握りである。
知らぬ者は軽々しく妾の入内を目論む者までいた。
日がな御簾を下げ、決して顔を見せない。

油にまみれた髪と、重い着物を引きずり歩くときほど惨めな気持ちになるときはない。
妾はいつまでこの身分を続けなければならないのか。

鬱々とした気持ちを晴らすのは、物語であった。男であれば読むのを止められるかもしれない少女趣味な手慰みも、読む間は異世界を味わえた。
やがて妾は飽き足らず、己の境遇を決して妾と分からぬように書き記す。

『かぶ草子』
手慰みのつもりだったため、昨日食べた野菜を頭に付けただけのものだ。それなのに、困ったことに侍女が続きをせがみだし、架空の恋愛要素も加えたものに変えると、たちまち流行してしまった。

時を同じくして、妾に時の帝の姫君から、紙をいただき執筆の御命令まで頂戴する。
思わぬ日の当たりようから、父も宮仕えを勧める始末。

「もっとちこう寄りなさい。御簾の君。」

涼やかなお声。あろうことか、物語と同じように、帝の姫君に恋心を抱くことになるとは。
入内してもおかしくない年頃の、身分のある娘が宮仕えするのを、父上はどう誤魔化したのか。
もはやそんな疑問などどうでもいいと思える素敵なお方だった。

殿方に仕えられぬ身なれば、奥方に立派にお仕えし奉ろう。
妾の内に秘めた思いを、悟られぬよう。