朝焼けに檸檬

アラサー。創作をしています。不定期更新です

りんご姫

気がつくと首を絞めていた。真っ赤な頰に、長い睫毛をした君の。

 

「最近楽しいことがないの」

そうだね、と同調した僕は、君と繁華街に繰り出した。きらめくネオンサインを登り、扉を開けた。

君は一本調子で、ほとんど感情らしい感情を確認できなかった。僕はただただ疲れてしまって、おまけにあの時から時間も経ち過ぎているから、楽しい時間を過ごせたかどうか、わからずじまいだ。憶測だけれど、きっとあんまり楽しくなかったような気がする。だって、僕らにはどうも不釣り合いな場所だったから。

今度は別の楽しいことを見つけよう、と言った僕に、君がなんて返事をしたか覚えてないけど、またおいでよと言ってくれたことだけは、覚えていた。

 

しばらく、と言ってもそれほど間隔のあかない間に、君に会いたくなって、今度は遠路はるばる会いに行った。

相変わらず変わらなくて、手を繋いで恋人ごっこをして、少し顔色のよくなった君は、退屈だけれど元気だと笑った。

僕は少し嬉しくなって、また来るねと笑顔で帰った。

 

「最近よく眠れないの」

見ない間に、僕も君も歳をとった。まるで他人事のようにつぶやく、くまをこしらえた君が心配だったから、それならお薬を処方してもらえばいいんじゃないかなと助言した。

薬の力には頼りたくないとごねる様子に、無理にでも寝たほうがいいよと後押しをした。

首を傾げて、そうかなという声は、やっぱり大したことではないとでも言いたげに、か細く聞こえた。君は前に見たときより、少し細くなっていた。

真っ白で、生命線だけがやたらと下まで伸びている君の手。僕よりかなり大きな手のひら。だけど手首は、僕の短い親指と人差し指で、囲えてしまうほどになっていた。

出会った頃から細くて、折れそうだと思っていた身体は、いっそう折れてしまうそうになった。

楽しいことにも、楽しくないことにも、何もかもがどうでもよくなってしまったみたいな君は、虚ろな瞳を僕に向けた。

それでもまだ、また来るといいよと、その気はなさそうな口調で付け加えてくれた。

そしてついでのように、僕のことはどうでもよくないんだよ、とわずかに微笑んだ。ほんのちょっぴりだけ、安心をして、気丈に振る舞うため大げさな笑顔を作って、大げさに手を振って、僕らは別れた。

 

綺麗だった黒髪は、赤茶混じりのパサついた髪へと変わっていて、それはもしかしたら僕が、少し色でも入れてみたら気分転換になるんじゃない、と言ったせいかもしれないと思い至った。

無責任なことにいつ言ったのか覚えていなかったけど、確かに言ったかすら怪しかったけど、もっと恐ろしいことに、君はこうのたまった。

 

「最近時間の感覚がないの」

「もうすぐ死ぬのかもね」

縁起でもない、とかそういう類の言葉を返しながら、おかしなことではないと思った。君は元から美しすぎて、まるでこの世のものではないようで、あちこち身体がおかしくなるのもこの世の食べ物が口に合わないからで、無感動に見えるのも君の美しさから比べれば他のことなど欠片ほどの価値もないのは当然のことだからだ。

 

「だから、殺したんです」

 

「真夜中に目がさめると、隣で寝ていた「彼」の両手両足がまっすぐ上に伸びていて、どうしようもない恐怖に取り憑かれ、手近にあったティッシュを空いた口元へとどんどん詰めたけれども一向に状態は変わらず、叫ぼうにも声も出ず、最善の策を講じた結果、首を絞めた、でまちがいないですか」

 

はい、と首を深く垂れた女は愁傷そのもので、「僕」と名乗る以外はどこにでもいそうな外見をしていた。

「彼」に身寄りはなく、頻繁に連絡を取り合っていたのは、この女だけだったようだ。元はモデルをしていたらしいが、「お付き合い」で生気を奪われでもしたのか、その片鱗もなく、精神を病んでいた。

 

「姫は、生き返りますか」

 

付き合う男をもう少し選んでいれば、こんな結末にはならなかったろうに。同情を込め、軽く撫でた髪からは、ほのかにりんごの香りがした。