朝焼けに檸檬

アラサー。創作をしています。不定期更新です

豆乳生活

やめてみた。たくさんのことをやめてみた。

 

まず、服にこだわることをやめてみた。毎日似たような無地のものを繰り返し着ている。古くなればまた似たようなのを買えばいい。考えなくていいから便利になった。

 

次に、体に悪そうなものを食べるのをやめたみた。炭酸やファストフードなど、思い返せばずっと、僕は身体を労わることを怠ってきた。それから、とりあえず色々含まれていないものを摂取するように心がけている。効能はさほど実感がないが、大幅に崩していないところを考えると正しいことをしている気になる。

 

そして、仕事をやめてみた。理不尽な欲求や、高圧的な暴言に耐える必要がなくなった。日がな、目が覚めた時間に起き、眠くなると寝ている。外に出ることもあるが、最低限で突発すべきこともない。

 

元々、ものを少なく暮らしてきた。家にいる時間が長くなるほど、いかに僕はものに囲まれて暮らしていたかを実感した。そして、いかに必要のないものが多いかを学び、すぐにものを持つことをやめる生活を始めてみた。

 

すぐにテレビがなくなった。最初は、寂しさを紛らわす貴重な手段の一つだった。しかし、次第に一方的な情報を垂れ流されるのが、不愉快になった。向こう側の貼り付けたような上機嫌に僕が、ついていけなくなったのかもしれない。

 

ありとあらゆる、いわゆる暇つぶしの嗜好品的役割を果たす、電化製品が消えていった。鍋と、必要最低限の食器と、衣服と、布団。布団がなくなれば、大きめの旅行鞄に全てが収まってしまうくらい、ものが少なくなった。

 

重いものを持たなくなった。負担がかかればしんどくなってしまう。しんどいことはやめるべきだと、仕事をやめたときに学んだ。気晴らしに出かけた図書館で読んだ本にも、好きなことをしなさいと書いていた。時間ができてから、僕は活字と触れる機会が多くなった。読書家というほどではないが、本は増えている。

 

今僕は、僕のために生きている。だから、人に連絡することがなくなった。一人で生きていくことは、最初こそ寂しさを感じたが、慣れてしまえば楽だった。僕は僕の機嫌と調子で、僕の声を聞いて行動すればそれでいい。

 

僕と向き合えば向き合うほどに、僕がいかにわがままな人間だったのかを思い知らされた。優柔不断で、1日のうちに予定変更を何度もしてしまう。どうりで人間関係にほころびが出やすいはずである。僕のような人間は、これ以上他人と関わりあうべきではない。関わるのをやめたのは実に英断であった。

 

さて、もし僕が、僕であることをやめたら、どうなるだろうか。僕が僕でなくなることは、ひどくたやすいことのように思う。やめていくことに慣れてしまえば、抵抗がなくなる。とうにやめてしまったコーヒーの代わりに、豆乳を飲みながら思考する。豆は身体にいいらしい。そのせいか、病気をしなくなった。僕の肌は誰にも見られることなく、どんどん白さを増す。目新しさもない代わりに、落ち込みもない。

 

自分本位に生きることは、素晴らしいようで虚しい。世界の終わりが今日でも明日でも、構わないとさえ願う。苦しみも悲しみもない代償に、僕は他の感情すら薄らいでいきつつある。この豆乳が、水道水でいいと変化し、衰退した暁には、僕は僕でいることをやめられるだろう。

 

さようなら、みなさま。ありがとう、世界。まだ残る感情を、今ここに、記しておくことにした。僕のような人が、増えないように祈りを込めて。