朝焼けに檸檬

アラサー。創作をしています。不定期更新です

僕という人

ジェンダーのツイートやアンケートをきっかけに、改めて僕について考えていた。ツイートに収まる気がしなくて、でも書いておきたかったから、書いていく。

結論だけ言うと、わからない。まだ僕を探してる。

 

僕という人間をそれなりにこねくり回してやってきたのだが、よくわからないままでいる。僕のほんとうは何か。

 

身体として性別はある。

精神としての性別は、たぶん両方ある。どちらかでいたい時間が交互に訪れる。

 

外見上の問題さえなければ、僕は性別と反対の道を進みたいと思っている。

それも、かなり長いこと思っている。ちょうど初めて中2を迎えた頃は、強く自覚した。

 

似合わない服を着て、似合わないものを置き、手の届かない高価な、僕の思い描く大人が身につけそうなものに憧れた。

 

一方で、今の性別で生きていることが自分の外見にとって有利だという判断をしていた。

その考えを肯定するかのように、外見はますます僕の精神にそぐわないほうへと成長を遂げた。

だから、性別の違和感を口にしたことや、違和の解消を行動に移したことはなかった。

 

今も表立って口にしない。この身体はどう考えても、今ある性別を有利に生きることができる身体である。身体そのものへの不満はない。

 

そして、性的趣向がどうかと聞かれると、異性愛者だと思う。

だと思うというくらい、僕にとって「どうでもいい」ことだ。好きだと言われさえすれば受け入れられるいい加減さがある。

 

肉体的なつながりは、あればいいし、なくても困らない。と最近気づいた。

 

どうでもいいを訳すと、何でもいいになる。今まで好きな人と恋愛をしてきたかと言われたらたぶん好きだったろうし、全然そうでもなかったかもしれない。

 

深い人間関係を続けていく自信があまりない。自信がないというより、その気力が続かない、という方があっている。

 

おそらく僕は、僕を愛しすぎて、他人に興味が持てない。僕以上に興味深い人間がいない。

 

優しいと言われるし、嫌われたくないと振る舞う自分もいる。でも結局僕が一番大切な人だ。

 

人並みの幸せは欲しい。喉から手が出るほどに。たぶん。

 

どうして僕には結婚だとか、長く付き合える相手だとか、そういう存在がないのか。

 

周りから早く結婚しそうだとか、恋人には不自由しないだろうとか言われてきた。

 

ほんとうにそうだろうか。お前は1人でもやっていけてるじゃないか。

 

そう。事実、今が楽しい。寂しくない。困らない。じゃあ一生このままか。

 

ということは僕を生涯溺愛することができるという寸法だ。孤独で閉じた世界。

 

僕の書くものは、僕の好きな世界。

「読んでどう思って欲しいの?」の答えは、「あなたの思うままにどうぞ」。

 

お口に合うならどうぞご贔屓に。