創作再開しました。不定期更新です

あおと月

寝つきの悪い夜見た月は、満月でもないのに丸く見えた。

月が好きだ。

「月が追いかけてくる」

小学生、もしかしたら中学生くらいまで幻想を抱いていた。

20年以上過ごした故郷は、昔と比べすっかり明るくなって、でもそれでも東京の空と比べれば格段に星が綺麗に見える。

月は手に届かなくて遠くて儚くて、太陽の手によってしか輝かない。そんな月と自分とを重ねていた節がある。

『なおしほし』の尚志もこんな心境で星を眺めていたのかしら。貝殻は手元にないから、僕には音も声も聞こえない。

彼らのママであり母でありパパであり父である僕は、親として彼らを見届けてあげたいと思うし、真っ当に進んで欲しいと思う。

月の斜め上の星はなんていうの。少し離れて真横に見えるのは。星座盤を眺めてもいい加減な僕にはわからない。

誰も通りやしないのに、街灯がいやに明るくて興ざめする。こんな住宅街で、こんな田舎で。明るくしなきゃならない世の中の風潮に辟易する。

でも月はぼんやり、「まあいいじゃない」とささくれ立った僕を包み込む。

街灯よりも眩しいのに、いやにならない天然の灯り。

きっと月にはたくさんの色が溶け込んでいて、夜にはもっとさまざまな色が混ざりあっている。

月の絵を描くことがある。まんまるのそれは白、黄、黄緑、青、茶、黄土色。日によっては朱色や赤を強めて。

何度描いても整わなくて、僕には絵の心得がないからそれは当然なのかもしれないけれど、少しさみしい気持ちになる。

この手に月を収めたいのではない。月は決して手の届かない高みにあってほしい。

ずっとさみしいひとりぼっちのおつきさま。ぽっかり孤高。

月は大勢の星を従えているようで、実際星たちは気ままに、月よりもずっと遠い場所でそれぞれ輝いている。

月は細く映る日もまんまるに映る日も、ただ他者に照らされる存在。受け身。

漫然と照らされ自我を持たない。そんなものに憧れる。無我の境地。

それにしても、他者の光であれだけ輝く母体を持ち合わせているのは類稀なる幸運の持ち主だ。

存在している場所もいい。太古から地球に住む者は月に想いを馳せてきた。月と人間は密接な間柄にある。

人はなぜ月を見るのか。夜の明かりを担う月に何を思うのか。

人類は実は月からの脱出者で、だから月に帰りたくてつい見上げる。

かぐや姫のようなおとぎ話。もうどこかで誰かの手垢がついてるかもしれない。

満月を見て変化する狼男は、月に向かって吠える虎は、なぜか哀愁を帯びる。いくら丸くても仮に洗面器だとダメじゃん。月がしっくりくる。

月と哀愁はわりと扱われやすい題材である。

同じ月を愛しいあの人も見ているかしら、なんて浪漫も月のなせるワザ。

満月ポン、ミルク饅頭の月化粧、萩の月、幻月なんて月の入った銘菓もいい。

和菓子は白餡がいいね。なんて個人の主観はさておいて、月はやはり切っても切り離せない。

グダグダ言ってると夜明けを迎えそうなので、この辺にしておく。

みなさまも気が向いたらぜひ上を見上げて、月を眺めてみてください。

「まあいいじゃない」とゆるい気持ちになれるかも。

 

あ、そうそう。

「月はくまなきを見るものかは」と残した法師様がかつていらっしゃったが、僕は満月も好きだし欠けてるのも好きなので法師様の意見に賛成。

ま、やっぱり「くまなき」満月が1番好きだけど。

ほー、そりゃケンコーケンコー、なんて言ったら怒られるかね。

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