創作再開しました。不定期更新です

あおと異常

久々に思ったことを書こうと思い立つ。僕という人間はサボりだすととことんサボろうとするのか、「書きたくなるまで待てばいい」なんて悠長に構えていたら年を越していた。今後はおしりに火をつけるためにも、強制的な習慣としたほうがいいだろう。

世の中のニュースを見ていると、正常と異常は改めてよくわからない日本語だと思う。人それぞれ変なところは少なからずある。それが他人に害をなすと糾弾される。

精神的な病気も線引きがあいまいで、認定されていない異常は数多く存在する。個性なのか病気なのか。本人の自覚の有無次第では、調子や性格で片づけきれない。

あおはどうなのかと言われると、おそらく、正常でないという自己判断をしている。馬鹿と天才は紙一重という言葉があるように、一つ階段を踏み外せばいつでも誰もが異常と手を結ぶ。

異常への対処もそれぞれある。個人的見解を言わせてもらえば、馬が合えばからみ、範疇から逸れれば無関心でいればいいと思う。

正義を振りかざし主語を大きくし、ヒーローになりたがる人。事柄をことさらに誇張し風呂敷を広げすぎた結果引くに引けず、泣き叫ぶ人。矢面に立つ決断ができずに片隅でくすぶる人。日頃の温厚さからは想像もできないくらいに大爆発する人。

個人主義が市民権を得、昔ならば直接意見できなかったことも気軽に言えるようになった。発信が気軽になりすぎた。空想の書き手も増え、アメリカンドリームならぬアイドルドリーム、配信ドリーム、歌い手ドリーム、声優ドリーム、夢のなろう作家なんてものも一般化されつつあるような気がする。搾取する側もアンダーグラウンドも隠し方が巧妙になり、警察とはイタチごっこを続けている。

なんて異常な日本になったんだろう。言葉は変遷する。時代も動く。若い気でいたがすっかり老いた気もする。

僕の思いとして書いた文面も、どこかで誰かの言った何かを想起させるかもしれない。それくらい発信過多だから。情報を追っていると、ふと、僕が発信しなくても僕の思いに近しい何かがもう世に出ていて、必要ないのではないかと思わされる。

遠い未来、発信された電子記録たちはどのように残るのだろうか。漢文古文のような「紙」ではないものたち。伝言ゲームのように違法アップロードされ、編集され、捻じ曲げられ、部分的に残って別の解釈がつく。そして、新しい時代に受け入れられたり、排除されたり。

異常が続けば正常になる。違和感が続けば、紆余曲折を経てどこかで受け入れられるようになる。これからなくなる仕事、新しくできる仕事。文化から取り残されないよう、どこまでしがみつけるだろう。どこまで抗えるだろう。

許容範囲の広さには自信があるつもりでいる。古の中学二年生、時代錯誤甚だしいエエカッコシイは、今後ともバージョンアップを図り続けたい。老害になりたくない。うっとうしがられたくない。あわよくばなるべく多くに好かれたい。願望ばかり募る。

無知の知というように自覚するだけまだマシではないか、と勝手に慰め、これからも自己の異常と付き合い続けていこうと思う。

よろしければ見捨てずお付き合いくださいな。年始というには鏡開きも済んでとうに明けきってしまったが、年始のご挨拶ということでどうかひとつ。