創作再開しました。不定期更新です

旅人

買ったばかりのイヤホンが、お気に入りの音楽を流す。
アップテンポで、鳴るだけで僕のテンションはちょっと上がる。
うっかり、リズムを刻んでしまいそうになる。
こんな、都会の町中で。
リュックサックには、最低限の着替えと荷物。
重たくなるのは苦手だ。
そう思う僕は、世の中の一般と比べれば非力で、もやしっこの部類だと思う。
それでも、遠出は好きだ。
ここに、僕を知る人はいないから。
だから、大胆になれる。
店員さんに横柄な態度をとるとか、
強気な値段交渉をするとか、
かわいい子をナンパするとか、
普段入ったことのない店に入ってみるとか、
僕にできるのはせいぜい一番最後に思い付いたことくらいで、
周りに言わせれば、それのどこが大胆だ、と失笑を買う。
お店に入っても、座るのは端の席。
僕みたいなのは目立っちゃいけないし、間違ってもカフェテラスにはいかない。
おすすめのモーニングを頼むと、ガラスの器に入った、ぐちゃぐちゃに潰されたジャガイモと半熟卵の乗っかった食べ物が出てきた。
一口含むと、じゃがいもの甘みと、半熟卵のまろやかさが合わさり、なかなかおいしい。
エッグスラット、というその食べ物は、いかにも異国のような風貌を漂わせ、旅を演出してくれた。
トーストにつけて食べると、とんかつソースのような、野菜やコンソメの風味のあるソースとじゃがいもたちが合わさり、おいしい。
もちもち、とか、さくさく、というありきたりな形容詞は使いたくないが、結局のところ、似たような歯応えを感じてしまい、形容に迷う。
擬音語は簡単だ。音にしてしまえば、容易に想像がつく。
文も感性ではあるけれど、音ほど感覚的ではない気がする。
気がする、という時点で既に感覚的だし、なかには論理による音楽もあるだろうから、(あるいは、音楽すべてが、理知的で計算されたものなのだろうか)感覚的というといささか礼を逸するかもしれない。
そんなたわいのない考え事をしながらも、僕は懸命に手を使い、食欲を満たす。
特製ブレンドティーは、柑橘の香りとハーブの香りがささやかに薫る。
朝の寒さに染み渡る温かさがそこにあった。
不思議と食欲がわき、滅多に口にしないデザートメニューを所望する。
どこにでもありそうなケーキ類、ゼリー類の他、この店の名物であるというメニューが掲載されている。
話は変わるが、一度だけ、メニューよりもかなり大きく、食べごたえのある量が出てきて、驚いた記憶がある。
だいたいの想像において、メニュー掲載写真は多くて五割増、あるいは少なく見積もっても二割増くらいされているのが、僕の実感だったからだ。
国民の皆々様の所感はどうなのだろうか。
所詮僕が問うたところで、返答してくれるのは気まぐれな猫くらいだろうが。
腹ごなしを終え、リュックを背負い、会計を済ませる。
二度と会わないだろう店員さんが、どこか儚げで美しく見えた。
もう一度来てもいいかもしれない。
旅だと気が大きくなって、つい、「ごちそうさま。おいしかったです」などと声をかけてしまった。
普段なら決して口にしなかっただろう。
店員さんは少し驚いた顔で、会釈を返す。
口許が緩み、笑みをこらえきれない。
「あ、ちょうどお客さんがでてこられたようです。ちょっとお話を伺ってみましょう」
振り向くと、突如マイクを向けられる。
まさか、テレビ出演か。思わず髪を整え、身構える。
「今日は何しにこられたんですか?」
「観光」
「ご職業は?」
「旅人」