創作再開しました。不定期更新です

あおと最近飲んでいるもの

今週のお題「最近飲んでいるもの」

たまにはお題に沿って書いてみようかなという気持ち。

寒くなると、たいてい温めた麦茶を飲んでいる。毎日のようにチョコレートをもぐもぐ食べているので、あまり甘い飲み物を飲む機会がない。

日に何リットル飲んでいるかわからないが、1リットルの水出し麦茶を、日に2回は作ってる気がする。ということは、2リットル以上飲んでるのかもしれない。

それだけ飲んでいるせいか、冬はやたらとトイレが近い。飲まないよりはいいだろうと思って飲んでいるが、果たしてどうなのやら。

出先ではホット飲料を買って飲む事が多い。

なにかご飯と合わせるときは、ほうじ茶。おやつと一緒か、めぼしいおやつがなければ甘い飲料だけでもとなると、ココアかミルクティー

家でも作ればいいんだろうが、買っても続かない。粉を例年余らせてしまうので買わなくなった。

おまけに、年々カフェイン耐性が弱まってきているのか、紅茶やコーヒーは1日の早いうちに飲んでおかないと睡眠に差し支えるようになってきた気がする。

丁寧な暮らしに憧れ、いい急須、いい茶器や茶葉に、お気に入りのティーコージーと揃えてみたくなったことある。

ただ、残念なことに丁寧な暮らしというのは大変無精と相性が悪い。

まず探すところから荷が重い。次にいいお値段で足踏みする。そうこうしている間に欲する季節が去る。

いつか無精に勝てたときのために、のんびり候補は探しておこうかしら。

ホントに勝てる?白湯飲むときはお湯沸かさずに水道水のレンチンで済ますのに?

「最近飲んでるもの?コレ」

となんかイケてる渋い急須を傍らに、どっかいいとこで買った緑茶を、というのがほんとは理想。

緑茶じゃなくて紅茶でも茶葉の種類は問わない。なんかこう、おしゃれな雑誌に載りそうでTHE丁寧な暮らしみたいな、格好をつけたい。

もう書いてる時点から上滑りがすごい。全然似ても似つかぬ性質すぎて来世に期待するしかない。

三つ子の魂百までというか、こりゃもう治らんね。

さて。何回目かの麦茶レンチンして、チョコレートを食べて、しっかり歯磨き済ませたら今日こそ早く寝れますように。

あおとコインランドリー

コインランドリーを、ここ3.4年で急激に利用するようになった。

あおという人間は大変いい加減にできているので、おふとんは干せば、毛布はギウギウ押し込んで洗濯すれば、なんとかなってきた。

最初は、洗濯機が壊れたとかのっぴきならない事情で利用した気がする。

それから、サクッと乾燥させるには便利が良いし、ホカホカ洗濯物を持ったまましばらく歩くのも悪くないな(特に冬)という気持ちになり、ヘビーにではないものの、愛用させてもらっている。

5.6年以上前になるのだが、コインランドリーヘビーユーザーの話を聞いたことがある。その人いわく、待っている間の時間が至福であるという。

生憎生活範囲からは遠いのだが、最近はカフェや飲食店が近くにあって、待ち時間をより有意義に過ごせそうだ。

僕の趣味といえば散歩や鑑賞、読書など静的なものがかなり多く、コインランドリーは大変相性がいい。

こうして今も、のっぴきならない事情で深夜のコインランドリーに入り浸りながらブログ記事を考えるのも乙なものである。

僕だけかもしれないが、どうしても何かと考えてしまう時間が長い。頭をシンプルにするにはひたすら歩くかなにかに没頭するか、こうして文章を考えて感情の整理をするに限る。

洗濯物が回り続けるのを見るのもよし、新しいネタ探しをするもよし。

と今はこうしてわりかし楽しめるのだが、話を聞いたばかりの5.6年前には、どうも馴染める気がしなかった。

コインランドリーは、時間制限付きで行動範囲や予定を若干拘束される。

あまり予定を詰めすぎるのは、好きではなかった。そして、急かされるのはもっと苦手だった。

当時は、外に出たら何かしらしなければ家にいるのと変わらない、何かしなければという思いに、駆られてたのかもしれない。

そう思うと、僕も少しはゆとりが出てきて余裕を持てるようになってきたような気がする。

WiFi引いてほしいなとか、冬になるとトイレが近いのでトイレ併設していてほしいなとか、外に自販機とゴミ箱はほしいなとか、カード対応してほしいなとか、近所のコインランドリーに求めることは利用するたび増えていくが。

忘れないようにお知らせしてくれる機能や、空き状況がわかる機能など、コインランドリーは日々進化していく。

シェア需要が高まる昨今、拡大していくコンテンツなのかもしれない。してる最中なのかな。

ボーっとしている間に洗濯が終わった。これから帰ってすぐ僕は寝る。

乾燥機から出たばかりのホカホカが好きだ。だからずっと布団乾燥機がほしい。毎日ホカホカで眠りたい。そしたらもっとよく眠れる気がする。

オリオン座が見える季節になった。布団を丸めて抱え、見上げる夜空。

空気がひんやり冷たくても、今日はホカホカがいるから大丈夫。おうちまで暖をよろしくね。帰ってからも温かいうちに入るから待っててね。

あおと杞憂

もし隕石が落ちてきて、地球が消滅したらどうしよう。

そんな荒唐無稽な心配事、あなたはしたことがあるだろうか。

僕はある。それで眠れなくなる日が過去にあった。

ちなみに、天が地に落ちてどこにもいけなくなったらどうしよう、みたいなことを考えた人が昔いたよ、というのが、杞憂の故事(元ネタ)だ。

天が地にっていくらなんでもそれはない。なんて思う僕だが、世の中の一般論と並べれば、隕石もまたどっこいどっこい。

 

今は昔ほど考え込まなくなったが、ifでネガり続ける。するしないで迷えば、する前からどうせ無理と決めつけ、する前から諦める悪癖もある。

 

話しやすいしついつい楽しくてめちゃくちゃ話しちゃうけど、僕ばっか話しすぎじゃない?

てかこんな話ばかりでいいの?大丈夫?

楽しいって言ってくれてるし大丈夫だよね?

話してなくても心地良いけど話ししたほうがいいのかな、話しすぎかな。

とここでだいたい1周して、これを周回する。終わらん。えーい強制終了じゃ!

話しても話さなくても一緒にいたら僕も相手も楽しい!大丈夫、終了!と強引に終わらせる。

 

巷ではやってるらしい?mbti診断(16personalities)では、INFP(仲介者)だった。

診断大好きだし空想ばかりしてるし、単純作業は居眠りするし、向いてる職業何??一人で作業して他人を介したくないって悩みまくってたし、当たってるなと思わされた。

 

放っておくと一人大反省会でネガり続けるので、大丈夫大丈夫と笑い飛ばしてもらえると大変勇気づけられる。

そして大丈夫な気がしてきて、ほんとに大丈夫になる。メンタル構造どうなってんだ?

同時に大丈夫大丈夫と日頃から周りに虚勢を張る達人でもある。

これまた不思議なことに大丈夫と言ってると大丈夫だし、不調にならない。

別人のような気がしてくるが、これまた同じ僕なので仕方ない。

 

大丈夫って書きすぎてゲシュタルト崩壊起こしそう。太や文が混じっててもわかんないんじゃないこれ。

悩み相談しても、話してる時点で消化して聞いてもらえた安心感と心地よさで、なんとかなってしまう。

たぶん他に考えたいことがいっぱいで、そんなことでキャパ割きたくないのかもしれない。

 

人と会ったりきれいなものを見たりすると、新たな刺激になって、たくさんいろんなことを書きたくなる。

揺れる水面、光の反射できらめく色。淡い色彩で顔色のわからぬ人が僕を見る。

ちぎり絵のような万華鏡のようなタッチが、僕の脳内を侵食する。

精神が旅する。とても薄い青と桃と橙の上を滑る。夜明け、昼の日差し、黄昏どきが、目まぐるしく明滅する。

 

ひと目見て心奪われる。きれい。かわいい。うつくしい。消化しきれない感情を、丁寧に引き出しに入れていく。

口をついて出るのは、フィルターをこさない言葉。その言葉も同じように記憶の引き出しにしまわれる。

 

気温、熱気、高揚。

新しくインプットされると、アウトプットも味が変わる。色付いた文章はどんな化学反応を起こすのか。

 

せっかく文字カウントもついて校正もしてくれるアプリ発見したのに、いつものスマホからブログ記事に直打ちスタイルなんですけど。

ま、いきなりはね。書いてる途中に発見しちゃったしタイミングも良くなかったよね。

使う使う、きっと使う。

今日はそろそろ眠気もきたし、いい感じに脳内疲労してるし睡眠もたぶんいい感じ。

きっと明日も良い日って思えばいい日。

杞憂の反対は?もう寝る前にそんなこと考えなくてもいいじゃん。今日は寝ちゃえば。おやすみ。

あおと煙草

僕は非喫煙者。吸いそうと思われたこともないし、これからも吸うつもりはない。でも、煙草のパッケージは嫌いにはなれなくて、今に至る。

秋の夜長というかもう夜中も深まって下手したら朝じゃんってなりそうな今、頭に思い浮かんだのが煙草だった。なんでや?

吸っている誰かを見るのは好き。でも喫煙所にわざわざ行くほどではない。そもそも赤の他人に興味を持てない。知ってる人のことだけ知りたい。そして歩き煙草はダメゼッタイ。

ちなみに喫煙者は、吸ってなくても会った瞬間にわかる。今のところ外したことはない。警察犬か。残念ながら、煙草に詳しくありませんで、利き煙草はできないけどね。

 

最初に覚えた煙草は、父が吸うショートホープ

赤ラークは祖父。マイルドセブンは叔父が吸ってた。

昔は随分と喫煙環境がゆるく、部屋の至る所に煙草の煙が漂っていた。駅のホームも喫煙所があったし、大抵の飲食店は喫煙可能だった気がする。

そして、昔はもっと歩きながら吸う人がいた。

 

所変わって僕の記憶は、一気に2000年代に。

世の喫煙環境が厳しくなり、僕が初めて就職したところでは、喫煙は規定場所のみ。

指導係は喫煙者で、吸わない僕はなにか話があれば喫煙所まで出向き、煙草の煙と共に色んなことを教わった。

 

喫煙所は様々な煙が入り混じり、吸わない僕の服にも香りが移る。煙草の煙は未だに相容れないけど、残り香は物によっては悪くないなと思ってしまう。

長く過ごせば自然と銘柄も頭に入る。

マールボロ緑。赤茶のキャメル。ラッキーストライクパーラメントJPS

煙草も含めての、その人。街なかでたまに懐かしい記憶が蘇るのは、どこかで同じ煙草を吸う人と遭遇したからかも。

今も吸ってるのかな。電子タバコに鞍替えしてるかな。もうやめちゃったかな。

 

喫煙か禁煙か。お店の二択があれば、禁煙。残り香を残したくはないので、家に帰れば即洗濯、即お風呂にする。

ただ、煙やぽつんと光る赤い火は、記憶に留まり、僕の心を少し豊かにする。

 

煙草は身体に悪くて、人の身体を蝕んで、やめたほうがいいはずなのに、煙草を吸う人は皆、吸っている瞬間、たいそう穏やかな顔をしている。

中にはイライラしかめっ面で吸う人もいるのかもしれないし、今まで私が見てきた人たちにも、そんなときがあったかもしれない。

ただ私の記憶には、他のどの瞬間よりも幸福そうな顔だったようなそんな気がするだけ。

 

芥川龍之介の短編に『煙草と悪魔』という話がある。これが短いながらも考えさせられ、読後しばらくぼーっとしてしまう。重ための煙草を吸った気分。

芥川自身もかなりのヘビースモーカーだったらしい。煙草を吸いながらこの話を書いたと思うと、また考える要素が増える。

 

一本の煙草は、だいたい真ん中を少し過ぎるまでに、消されてしまう。

あの短い時間に、人は少しだけ幸福になる。

そして人を幸福に導いた本体はネジネジされ、灰皿にポイとされるわけだけど、吸口は茶に、先端は黒ずんで、哀愁を帯びる。

 

生まれ変わったら一度ぐらいは吸ってみようかな。そしたらなにか違う世界が見えるかも。

行けたら行くわ、じゃなくて、吸えたら吸うわ。

これ、365%絶対吸わんやつな。

あおと通過儀礼

イニシエーション・ラブ』というお話がある。最後にどんでん返しのある作品として話題になったこともあり、知っている人もいるかも知れない。

僕は、イニシエーションとは通過儀礼だと、この本から学んだ。

そして、推奨年齢で経験しておくべきことをスルーした結果、僕は妙な進路変更をする台風のようになったのでは、と疑念を抱いた。

 

頭にちらつくのは、「アタック!ギャグマンガ日和」のとある一節。(アニメ「ギャグマンガ日和」の主題歌)

"私の根暗は 生まれつきだけど あなたのソレは 二十歳過ぎてから "

具体例をあげていくと、自虐ネタにしかならないので割愛する。

 

少し話はそれるが、最近しょこたんの「年齢はレベルやカラット」という趣旨のツイートを拝見し、非常に心に優しく響いた。

要は、したいと思ったときにしたいことをすればいい。遅すぎるなんてことはない、ということだ。

まさにその通り。

なんだが、いざしてみると、最初は塩梅がわからない。

関西弁で言うところのイキリ。妙に肩に力が入り、こなれてないのが丸出しなのである。

 

習うものではないし、経験していきながら会得していくものなのだろう。

いやしかし、やはり、相応の段階で経験しておいたほうが良かったのではと思わされる。

 

年々融通もきかなくなり、頑固で保守的になってきているような気もする。

自分の型があり、許容を越えると異様に渋る。

そのとき心が楽しくても、あとから身体が悲鳴を上げることもある。

たとえば、高熱で寝込む。あるいは、しばらく耳鳴りが止まらない。あげく、寝付きが悪くなる。そして、朝にも続く倦怠感。

 

高揚感だけでアクセル全開はいけない。石橋は叩いて渡ろう。

身体が教えてくれるのかもしれない。

元来、熱しやすく冷めにくい。影響されやすく、好きな人の好きなものを好きになる。その人との関係が切れても、変わらず好きでいるものもある。

 

無関心で疎いものだらけだが、浅くでも知っているものがあるのは、僕と関わってくれた人たちのおかげ。

 

僕と画面の向こうにいるあなたは、通過儀礼なんてもので片付けないで、一生付き合っていけるかしら。

すぐ一生とか死ぬまでっていうと、「重たい」「めんどくさい」と言われる。言われなくても態度で示される。

でもできることなら末永く付き合いたい。

 

一度心を開けば、押し売りのように深くズカズカとめり込ませていきたい。

諸々の犯罪行為にならない程度で。

 

昔は思いをほとんど口に出せなかったし、押しも弱かったし、何でも合わせてた。

おかげで代替案の「書く」に出会えたわけだが、昔から伝えられていたら、今頃適度で適切な人との距離をはかれてたのではないか。

 

あらゆるifを考え夜が深まる。

そもそも文章は夜中に書くもんじゃない。

ラブレターは夜中に書くなって言うでしょ。

 

いいじゃん。書きたいときに書けば。

僕は今の僕、結構好きよ。なんかいい感じ。

急に筆が乗ったのはいいけど、もうこんな時間には変わりない。明日もあるでしょ。はよ寝ろ。

寝ます寝ます。もう寝ますよ。おやすみ。

あおと創作

やめたり始めたりしているが、僕が最初に創作を始めたのは中学生の頃だ。

 

当時流行っていた乙一の『君にしか聞こえない』、ハリーポッターシリーズ、『DEATH NOTE』を混ぜ合わせた、現代を舞台にした恋愛小説が、最初に書いた作品。

タイトルを『願いの哲学』という。

 

これは恐ろしいことに高校の頃出した学内のコンクールで佳作を取り、製本化されてしまって、高校の図書館の片隅に今も眠っている(こっそり処分されてるかもしれない)。

実家にもある。私が存命中は時々思い出して読むと楽しい。

そして中2全開すぎるため痛みを伴う面白さがある。願わくば他人に読まれたくないので、私の死後焼却処分するか、棺桶に入れてほしい。

 

当時生意気なことに自分のパソコンを持ち、フロッピーディスクUSBメモリ32MB(当時はまあまあ高価だった)を持ち、色んなものを書いては保存していた。

大学ノートにも随分たくさんの話を書いた。未完のものも多い。

 

話はそれるが、僕は明治くらいの作家が好きで、テレビで特集されてたら当時からよく見ていた。大人になってからは文学館に行くようになった。テレビでも文学館でも、恋文やら書き損じやら、当事者ならそんなもの掘り起こさないでと思うものまで公開されている。

 

さて、僕は大変な自信家で、中学3年生の頃、最年少芥川賞が2名という大変刺激的なニュースが話題になった。

恐ろしかった。僕が有名になればあれやこれやの恥ずかしい記録が表沙汰になる。

最年少芥川賞を更新する気まんまんだった僕は、

断捨離癖を加速させた。

 

過去作に関しては本の状態で残った高校在学中の3作品と、大学在学中の部誌2冊を残すのみ、データや大学ノートに書いたものはすべて処分した。

かつて、文学フリマというイベントに、令和になった初回、出させていただいたのだが、そのとき出した3冊もWordデータ以外は何処かへ霧散してしまった。

 

しかし、残念ながら僕は、地味で人見知りで、なぜか大変目立ちたがりというややこしい性質を持ち合わせていた。

卒業文集や寄せ書きに恥ずかしいことを書くこと(もちろん当時は恥ずかしいと考えていないから書けた)や、情熱を抑えられず好きな人にお手紙を書くことをやめられなかった。

 

昔のような謎の自信はもう持ち合わせていないが、もし仮に僕が表舞台に出たら、それはそれは恥ずかしくてたまらないものが世の中に溢れまくるだろう。

今もどこかで生活する、僕を知っているあなたへ。僕が書いてよこしたものは捨ててください。今すぐ。

 

なんて書いておきながら、今日ものちのち恥ずかしくなる文章を書いてしまう。

何を言う。恥ずかしいもんか。見てほしくて書いてんですよこっちは。

いやでも忘れて、見たら忘れて。

いや、やっぱり覚えててほしいかも。

だって僕、書くの好きだから。つい書いちゃう。書いたら見てほしい。見るだけでいい。

そして、そういや昔、こんな人がいたなって、いつかどこかで思い出して。

そしたら僕、とっても嬉しくて、嬉しすぎて泣けちゃうかも。