創作再開しました。不定期更新です

2017-01-01から1年間の記事一覧

或る女

これが最後だからと渡された茶封筒には、皺だらけの一万円札が入っていた。額はいつも通りながら、本当にこれが最後と念を押されたことに顔をしかめ、礼もそこそこに立ち去りながら、女は金の使い道を考えて歩く。馴染みの居酒屋で溶かすもひとつ、上等の鞄…

君と僕とのかくれんぼ。

三日月でなくてもクロワッサンというパンを食べ、朝が始まる。大枚をはたいて買ったコーヒーメーカーは、今日も機嫌よく動いていた。天気はくもり。占いは6位。ラッキーカラーは紫。遠い、遠すぎて親近感のわかないグルメ情報を聞きながら、男は予定を思い返…

60通目の真実

本日こうして書面を差し上げたのは他に理由がないことを、明晰な貴方ならお分かりでしょう。そうです。私のことについてに決まっております。貴方が必要以上に詮索なさるものですから、つい余計なことまで口走ってしまいそうになるのを、必死に抑えて耐え忍…

熱帯魚

「コノコハモウダメネ」 ガラス越しに歪んだ、無機質な口の動き。気まぐれに変えられる水と、同じように飼い主の気分で供給されるエサと、人工の空気とで生かされている。こうも他人に人生を委ねる他ない生物になるとは、思いもよらなかった。信仰深くなかっ…

その笑顔が見たい

息をつく間もなく、次の仕事に取りかかる。古くさいハンコ至上主義にのっとった書類の束は減ることなく、気分と反比例に、山は登りがいのありそうな高さへと日々記録を更新している。この調子で進めると、残業時間の更新も行えそうだ。 そう言いながらも、好…

豆乳生活

やめてみた。たくさんのことをやめてみた。 まず、服にこだわることをやめてみた。毎日似たような無地のものを繰り返し着ている。古くなればまた似たようなのを買えばいい。考えなくていいから便利になった。 次に、体に悪そうなものを食べるのをやめたみた…

路地裏の木漏れ日

「それ、絶対伝わってないよ。いいの」 絶対のぜがずぇに聞こえるくらい目一杯引き伸ばされて、それがおかしく笑ってしまう。僕のことを思っているという彼女の身勝手な慈善によって、僕は話せば話すほど悲劇の役者になっていく。 もし僕が泣いて喚いていた…

水中花籠

水泡が消えた。それですべてだった。 涼しげな目元をしていた。音もなく笑う人だった。昼飯は欠かさず汁物を買う人で、箸をつけるのは汁物からという自己の流儀があった。箸が必要以上に汚れないための食べ方らしかった。背筋をピンと伸ばして食べる姿も、歩…

僕のメリさん

午前7時21分、いつもの電車に乗り込めば、物憂げな表情のあの人と出会う。片手にはカバーのかけられた文庫本。 世界中のどこを探しても彼女ほど文庫本の似合う人はいないと思う。彼女の、その少し日に焼けた健康的な肌には、クラフト紙のカバーがよく馴染ん…

りんご姫

気がつくと首を絞めていた。真っ赤な頰に、長い睫毛をした君の。 「最近楽しいことがないの」 そうだね、と同調した僕は、君と繁華街に繰り出した。きらめくネオンサインを登り、扉を開けた。 君は一本調子で、ほとんど感情らしい感情を確認できなかった。僕…

今 このひとときが 遠い夢のように

僕のおもちゃ。 賢くないけど従順で、束縛は嫌がるけど束縛したがる。 座りすぎてスプリングのきかないソファに遠慮がちに転がっている。 初心を気取って俯いた顔から表情は読み取れないが、どうせ大したことを考えてはいまい。雛のような甲高い声は偽りで、…

硝子のうさぎ

辺りは風が吹きすさんで、もう夏だというのに肌寒かった。 だけど、ポケットから取り出したチョコは半分溶けかけていて、生温い甘さを水で流し込んだ。 飲み慣れないコーヒーでも飲めばいいのかと思ったけれど、あいにく周囲には居酒屋ばかりが目について、…

まどろみ

ご飯の炊けるいい匂いと、焼きたての玉子焼きにみそ汁とが並べられる音がする。朝食のような、夕食の香りが定番となりつつある。時々みそ汁が豚汁になる日もあるが、どうしてだか、大幅なメニュー改定は今のところない。僕も理由を聞けばいいのだろうけど、…

『駈込み訴え』考

太宰治『駈込み訴え』感想 ネタバレ有り ユダは裏切った。 これはキリスト史を語るに外せぬ周知の事実である。 ではなぜ裏切ったのか。 太宰は辻褄の合う推論を創りあげた。『駈込み訴え!』では、彼は最初、「ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。」と…

『河童』考

芥川龍之介 『河童』感想ネタバレ含むので注意 河童は、人間より繊細で賢く出来ている。これは、芥川が神経をすり減らす中で、自身と河童を重ねてみていたのではないだろうか。人間的感覚にいたはずの主人公は、河童の世界に迷い込んだことで河童と密接にな…

『二銭銅貨』考

江戸川乱歩『二銭銅貨』感想。 ネタバレ含む。 まず、当時の暮らしや情景を想像させる描写がいい。泥棒が紳士だという設定、また紙を隠すなら紙、といった口上も腑に落ちやすい。人を不快にさせない泥棒が出てくる話は当時大衆小説と親しまれたことにも頷け…

籠の中の鳥

あなたが可愛いねとほめたくださったから、私ずっと髪を長くしているのです。 私は長い間あなたの幻影に囚われていて、今も逃れられません。ありきたりの、どこにでもありそうなお話でしょうか。私だけの独創性、どこから引き出せば良いのでしょう。たとえば…