創作再開しました。不定期更新です

あおの取り扱い説明書

はじめまして。もしくはお久しぶりです。

尾古森あおと名乗っているものです。

好きなもの

お昼寝 空想 創作 芸術鑑賞全般 〇〇診断 お散歩 多機能なもの 収納力高い収納 ポッケたくさんある服や鞄 暖かい場所 温厚な人 僕と出会って仲良くなってくれた人たち スケルトンでネジとか歯車見える仕掛けのもの 本 紙 万年筆 革小物 銀色のキラキラゴツゴツしたもの 青色 空 星 海 川 田園風景 城 夜景 ライトアップ 廃墟 工場 ディストピア感 ファンタジーな雰囲気 SFぽい感じ 怪奇(文章専門)ミステリ 純文学 謎解き 雑学 科学や化学(但し難しいことはわからない) 鉱石 虫 動物(特に小動物) うなぎ たこ じゃがいも 魚 鶏 海老 里芋 くるみパン 軟骨の唐揚げ アヒージョ イカ焼き(コナモンのほう) 刺身 生肉 酒のアテ関連 アイス(特に果物系) 求肥 みたらし団子 シュークリーム チーズケーキ フルーツタルト エッグタルト クリームソーダ スコール(微炭酸乳酸菌飲料) ジンジャエール いかみりん ぽたぽた焼き 素焼きミックスナッツ 高カカオチョコ

 

嫌いなもの・苦手なもの

寒いところ ゴから始まる太古から生きているらしい口に出せないほど禍々しい虫 数字 数学 算数 地図 怖い雰囲気(ビビリです) 騒がしすぎる空間(声が小さいので) 乗り物(三半規管よわよわ) 否定・正論で論破する人(泣きたくなる) 誰かが傷つく嘘 過剰に味覚が刺激されるもの(極端に辛いとか。何事もほどほどで) ノリを求められること(照れくさい+人見知り) せかされること(なるべく急ぐけど……) グロテスクなもの(文章なら平気なこともある)

 

一人称 僕

長年愛用している書くときだけの一人称。癖以外の何物でもない。なんとなく書きやすいし、ほかは違和感あるため。

 

性格

優しいに定評ありまくり 自分にも他人にも甘い まじめ おおざっぱ 慣れるとめちゃくちゃ喋るがだいたい話聞く側 人見知り(昔よりマシ) びびり

 

機嫌が悪いとき、落ち込んでるとき

人に見せないと思うけど、機嫌が悪い理由を婉曲的に話してるか、回線ショートしてぼーっとしているか、めそめそしてるので、喉を枯らさない程度に温かいお茶を与えつつ、回復を待ってください

寒い時期以外は、ポコポコと適度な感覚でアイスの実を放り込んでいれば、なんとかなります

さみしがりなので去られると落ちこみます

 

思いついたら更新します

よろしくお付き合いください

あおと本

めちゃくちゃ久しぶりにブログを再開したら、3年以上の歳月が流れていました。

江戸時代の俳人松尾芭蕉も『奥の細道』で

「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり(月日は永遠の旅人であり、やってきては過ぎていく年も旅人である)」

と書き記していましたが、人生とはまさしく旅人と思う日々です。

人生何が起こるかわからんなと思いますし、ややヤミヤミしてた直近3,4年も過ぎてしまえば「ま、そんなもんか」って感じです。

(全然関係ないしビジュアルしか知らないけどヤミカラスっていうポケモンかわいい。好き)

連携していた同名義のTwitter、(今はXになったね)消去してしまったため、かつての僕を知る人はもういないかもしれませんが、同じ僕という一人称を使います。

初めましてな方のために僕の取説2023(という名の自己語り・自己紹介)も後ほど別記事で。

なんかついついかしこまっちゃって、かつてのエッセイノリになかなかなりにくいのは、過ぎた年月のせいかしら。

僕も大人になっちゃったのかな。

いつまでも厨二でいたいな。

月が好きで、青が好きで、星とか海が好きで、早朝か夜中が好きで、堕天使とか闇とか第六感とかそういうなんとなくカッコいいものが好き。

かわいい小動物たちやぬいぐるみ、ゴシックやロリータも好きだし、ハーレーやクロムハーツみたいにかっこいいのも好き。

なんで好きになったのか、思いめぐらすと、週刊少年ジャンプの巻末やチラシに載ってたクロムハーツや、車の広告だったな。

かわいいものたちは、りぼんや友達から借りた少女漫画。

そして、ある年のクリスマス、あまりに身をやつさない僕に業を煮やしたのか”サンタ”が贈った『彼氏彼女の事情』。

月が好きなのは、タイトルは忘れてしまったけど、いつか読んだ本の表紙に書かれた満月がとてもきれいで、月っていいなって思ったから。

僕が好きなものの背景には、本が密接に関わっている。

だから、本がなければ僕はこんなにも色んなものに興味を持たなかった気がする。

じゃあどうして本を読み始めたのって言われたら、生活の身近に本があったからって思う。

本がいっぱい家にあった。読めばほめてくれた。喜んでくれると嬉しい。読み聞かせもしてくれた。

子どもって単純で複雑で、当時の僕がどこまで考えてどんな気持ちで本に接していたのか、僕にはもうわからない。

わかるのは、今でも僕は本が好きで、暇ができるとついついkindleや本屋、図書館、家にある本に手を伸ばす。

なぜか切っても切り離せない関係のようだ。

今日も色んなものへの興味は尽きない。

新たな本を読むことで、また別のものへの興味がわく。

本は僕に新たな世界を見せ、僕はまんまとそれに釣られて、のめりこんでしまう。

本ってすごいねっていうお話。

なんやかんやいっぱい書いちゃった。書こうと思えば書けるじゃん。やるじゃん僕。

おしまい。またね。

あおと異常

久々に思ったことを書こうと思い立つ。僕という人間はサボりだすととことんサボろうとするのか、「書きたくなるまで待てばいい」なんて悠長に構えていたら年を越していた。今後はおしりに火をつけるためにも、強制的な習慣としたほうがいいだろう。

世の中のニュースを見ていると、正常と異常は改めてよくわからない日本語だと思う。人それぞれ変なところは少なからずある。それが他人に害をなすと糾弾される。

精神的な病気も線引きがあいまいで、認定されていない異常は数多く存在する。個性なのか病気なのか。本人の自覚の有無次第では、調子や性格で片づけきれない。

あおはどうなのかと言われると、おそらく、正常でないという自己判断をしている。馬鹿と天才は紙一重という言葉があるように、一つ階段を踏み外せばいつでも誰もが異常と手を結ぶ。

異常への対処もそれぞれある。個人的見解を言わせてもらえば、馬が合えばからみ、範疇から逸れれば無関心でいればいいと思う。

正義を振りかざし主語を大きくし、ヒーローになりたがる人。事柄をことさらに誇張し風呂敷を広げすぎた結果引くに引けず、泣き叫ぶ人。矢面に立つ決断ができずに片隅でくすぶる人。日頃の温厚さからは想像もできないくらいに大爆発する人。

個人主義が市民権を得、昔ならば直接意見できなかったことも気軽に言えるようになった。発信が気軽になりすぎた。空想の書き手も増え、アメリカンドリームならぬアイドルドリーム、配信ドリーム、歌い手ドリーム、声優ドリーム、夢のなろう作家なんてものも一般化されつつあるような気がする。搾取する側もアンダーグラウンドも隠し方が巧妙になり、警察とはイタチごっこを続けている。

なんて異常な日本になったんだろう。言葉は変遷する。時代も動く。若い気でいたがすっかり老いた気もする。

僕の思いとして書いた文面も、どこかで誰かの言った何かを想起させるかもしれない。それくらい発信過多だから。情報を追っていると、ふと、僕が発信しなくても僕の思いに近しい何かがもう世に出ていて、必要ないのではないかと思わされる。

遠い未来、発信された電子記録たちはどのように残るのだろうか。漢文古文のような「紙」ではないものたち。伝言ゲームのように違法アップロードされ、編集され、捻じ曲げられ、部分的に残って別の解釈がつく。そして、新しい時代に受け入れられたり、排除されたり。

異常が続けば正常になる。違和感が続けば、紆余曲折を経てどこかで受け入れられるようになる。これからなくなる仕事、新しくできる仕事。文化から取り残されないよう、どこまでしがみつけるだろう。どこまで抗えるだろう。

許容範囲の広さには自信があるつもりでいる。古の中学二年生、時代錯誤甚だしいエエカッコシイは、今後ともバージョンアップを図り続けたい。老害になりたくない。うっとうしがられたくない。あわよくばなるべく多くに好かれたい。願望ばかり募る。

無知の知というように自覚するだけまだマシではないか、と勝手に慰め、これからも自己の異常と付き合い続けていこうと思う。

よろしければ見捨てずお付き合いくださいな。年始というには鏡開きも済んでとうに明けきってしまったが、年始のご挨拶ということでどうかひとつ。

あおと月

寝つきの悪い夜見た月は、満月でもないのに丸く見えた。

月が好きだ。

「月が追いかけてくる」

小学生、もしかしたら中学生くらいまで幻想を抱いていた。

20年以上過ごした故郷は、昔と比べすっかり明るくなって、でもそれでも東京の空と比べれば格段に星が綺麗に見える。

月は手に届かなくて遠くて儚くて、太陽の手によってしか輝かない。そんな月と自分とを重ねていた節がある。

『なおしほし』の尚志もこんな心境で星を眺めていたのかしら。貝殻は手元にないから、僕には音も声も聞こえない。

彼らのママであり母でありパパであり父である僕は、親として彼らを見届けてあげたいと思うし、真っ当に進んで欲しいと思う。

月の斜め上の星はなんていうの。少し離れて真横に見えるのは。星座盤を眺めてもいい加減な僕にはわからない。

誰も通りやしないのに、街灯がいやに明るくて興ざめする。こんな住宅街で、こんな田舎で。明るくしなきゃならない世の中の風潮に辟易する。

でも月はぼんやり、「まあいいじゃない」とささくれ立った僕を包み込む。

街灯よりも眩しいのに、いやにならない天然の灯り。

きっと月にはたくさんの色が溶け込んでいて、夜にはもっとさまざまな色が混ざりあっている。

月の絵を描くことがある。まんまるのそれは白、黄、黄緑、青、茶、黄土色。日によっては朱色や赤を強めて。

何度描いても整わなくて、僕には絵の心得がないからそれは当然なのかもしれないけれど、少しさみしい気持ちになる。

この手に月を収めたいのではない。月は決して手の届かない高みにあってほしい。

ずっとさみしいひとりぼっちのおつきさま。ぽっかり孤高。

月は大勢の星を従えているようで、実際星たちは気ままに、月よりもずっと遠い場所でそれぞれ輝いている。

月は細く映る日もまんまるに映る日も、ただ他者に照らされる存在。受け身。

漫然と照らされ自我を持たない。そんなものに憧れる。無我の境地。

それにしても、他者の光であれだけ輝く母体を持ち合わせているのは類稀なる幸運の持ち主だ。

存在している場所もいい。太古から地球に住む者は月に想いを馳せてきた。月と人間は密接な間柄にある。

人はなぜ月を見るのか。夜の明かりを担う月に何を思うのか。

人類は実は月からの脱出者で、だから月に帰りたくてつい見上げる。

かぐや姫のようなおとぎ話。もうどこかで誰かの手垢がついてるかもしれない。

満月を見て変化する狼男は、月に向かって吠える虎は、なぜか哀愁を帯びる。いくら丸くても仮に洗面器だとダメじゃん。月がしっくりくる。

月と哀愁はわりと扱われやすい題材である。

同じ月を愛しいあの人も見ているかしら、なんて浪漫も月のなせるワザ。

満月ポン、ミルク饅頭の月化粧、萩の月、幻月なんて月の入った銘菓もいい。

和菓子は白餡がいいね。なんて個人の主観はさておいて、月はやはり切っても切り離せない。

グダグダ言ってると夜明けを迎えそうなので、この辺にしておく。

みなさまも気が向いたらぜひ上を見上げて、月を眺めてみてください。

「まあいいじゃない」とゆるい気持ちになれるかも。

 

あ、そうそう。

「月はくまなきを見るものかは」と残した法師様がかつていらっしゃったが、僕は満月も好きだし欠けてるのも好きなので法師様の意見に賛成。

ま、やっぱり「くまなき」満月が1番好きだけど。

ほー、そりゃケンコーケンコー、なんて言ったら怒られるかね。

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全部、嘘。

 静謐の中に異物が混入する。整えた自我がかき乱されるように。

 まだ朝日の昇らない時間帯に聞こえるバイク音。規則的な寝息。鼻腔をくすぐるのは蜂蜜のように甘い香り。

 

 打刻音が平静を彩りつつ、日常へと回帰させる。他に何の音もしない静かな時間。僕の僕による僕だけの時間。何人たりとも犯すことの許されない大切な場所。

 ディスプレイほど機械的で簡素で私情を挟まない人工物はない。もちろん私情を挟まないのは無機物全般で、無感動のものに感情をぶつける行為は思考を鮮明にさせる。

 自己が他者になり、あたかも空想上の産物であるように仕向けられる。複雑な事象を平易に一般化して同情を乞う。あるいは、別の感情の想起を誘発させる。

 

 君の君にならざる具象化しない断片を、僕は拾い集めようとはしない。無意味な行為よりも有意義なあるいは価値を見出せるようなものを優先させたい。

 誰かの吐き捨てたガムを誰かは拾うだろう。潤んだ目でこちらを見つめる小動物に惹かれ、手元に置きたがるものもいるだろう。それはいずれも僕ではない。

 慈善や奉仕の類に限らず、世の中適材適所という言葉がある。時間が有限である以上優先順位の低いことには割けない。堅苦しい言葉に本音を混ぜ込む。

 

 日光、鳥のさえずり、朝の兆し。日が差すだけでまどろみは明瞭に、面白みのないものへと変化する。明るみに出ることほど無粋で下卑たものはない。

 懐に飛び込むならばどうぞお好きに。こちらからは必要最低限の干渉に留める。面倒なことはどうか持ち込まないで。曖昧なままで終わらせてしまって。

 薄い雲に紛れてタップダンス。響き渡る軽快な音に合わせて穴が開く。踏み外してしまわないように慎重に羽目を外す。

 洗濯機の中で回るのは理性と倦怠感。浮遊するのは本能と嘘。僕らにしか通じない暗号を考えて。でも、きっと次には忘れているからまた作り直そう。

 詩的に情緒あふれていても、暗喩は仄暗い穴の底で隠れている。包み隠すのは後ろめたいからではなくて、説明責任や義務を放棄している印。所謂人ならざるもの。

 

 ようやく世間一般の朝が始まるとき、僕らの朝は終わっている。日の出とともに溶けてなくなってしまう。透き通った抜け殻がカーテンの隙間から漏れる光に照らされる。

 いつか童話で見た馬鹿には見えない服のように、覗かれた先に僕らは映らない。影、地中に埋まる蝉、地底に住むもの、海中に住むもの。闇の周波数を抱くものたち。

 黒は絶対王者ではなく、恐れ慄き震えあがりながらもその場に留まる。覇者となるその日を夢見るのではなく、機会を伺い耐え忍ぶ。

 

 ジョークの分からない人は嫌ねと女王様は鼻で笑い、艶やかな唇をこちらに向けて見下ろす。

 虚言が先か欲求が先かそれとも階級か。思惑が交差し空回り。

 

「お嬢さん、お会計を済ませたかい?」

 紳士は軽やかに、但し警戒心を込めて可憐なマドモアゼルを嗜める。

 この世に無料などというものは存在しない。思考も時間も有限かつ有料。対価に貴方は何を支払うか。

 ここまで来ればもう大丈夫。僕の妄言は妄言のまま高らかに詠唱される。

 

 全部、嘘。どこかに真実味があったなら、それは貴方が現実と重ね合わせたに過ぎない。こちとら、それをウリにしているのでね。さて、お代は何かな。

月を煮る。

なおしほし。尚志視点

 

年に何回もあるスーパームーンに、僕はときめく。見ろよ、綺麗だろ、大きいだろ。そうやって語りかけてくるみたいだから。

 

「そろそろ寝なさい」

形式通り22時半に消される部屋の明かり。いい子の返事をしてからしばらくして、僕はベットから抜け出し、天体望遠鏡を覗く。田舎の中では都会、ある意味では都会と呼ばなくもないこの街の天気は、晴れだった。いつも通り、月の模様までくっきり見える。天体望遠鏡の口にスマホを近づけて、一枚。あんまり良さは伝わらないが、ないよりましだと言い聞かせて恭平に送る。

 

程なく震えた返信は

「デカくてすげぇよな」

「俺も今見てる!」

やたらと白くて、明るくて、カーテンを少し開けているだけなのに部屋が随分明るくなる。静まり返った部屋の窓に、今日だけのプラネタリウムが上映されている。

主役は柔らかなカスタードとも、夕日のような赤とも違う色。雪。一面の白銀。同じ白なのに、微妙な色彩があり、光の加減で瞬く。包み込むような白。灰のように見えて光沢があり、でも、完全に黒になっているところ、無骨な穴も散見している。

いつもしているように手を伸ばして、届くわけもないのに、掴もうとする。手が触れた振動で、望遠鏡の焦点が歪む。白銀が揺れ、星が揺れる。一晩限りの共演。今日しか見れない星空。スーパームーンに心なしか浮き足立って、いつもより明滅のペースが早いのではないだろうか。それに、月の周りの星たちは月に遠慮でもしているのか、いつもより控えめに発光しているように見える。もちろんそうではなくて、月より遠いとか近いとかで差があるわけではない。ここから近いか遠いかだ。

「もう寝た?」

「いや、まだ」

「早く寝ねぇと、明日起きれなくなんぞ!」

やたらファンシーな、怒りマークのスタンプが届いて、

「大丈夫、もうすぐ寝るから。おやすみ」

と嘘をつく。僕はあと3時間くらい寝れそうにない。できれば月が傾いて、見えなくなるまで見届けたい。ごめんね、明日も休むよ。今日起きたときから決めていたから。

「明日絶対学校でスーパームーンの話するんだからな!絶対!おやすみ!」

見抜かれている。しかも念押しされている。これはめんどくさい。まだ開けてないからセーフということにしておこう。未読スルーだ。

さて、吐く息はまだ白いが、少し寒さも緩まってきたこの頃、我が家の鍋メニューはそろそろレパートリーがなくなっていた。明日はたぶん豆乳鍋だ。鶏肉が安かったと言っていたからきっと鶏肉と野菜の鍋だ。豆乳にとろりと月を放り込んで、一緒にくたくたに煮たらどんな味がするだろう。白菜に軽く溶けた月を丸め込んで頬張る。切り取られた月が口の中でとろける。クリームシチューよりまろやかになって、でも時々筋張ったところもあるから歯応えもある。

お腹が空いてきてしまった。水筒に確保しておいた温かいお茶でも飲んで、早く寝て空腹を誤魔化そう。きっと、恭平のせいだ。そうに違いない、と月を煮込んだ話も合わせて明日言ってやろう。起きられたら。起きても行きたくなるとは限らないし。いや、行かないし。でも言いたい。ええい、とりあえず寝てしまえ。学校に行くかどうか考えるなんて、僕らしくない。

これもやっぱり、恭平のせいだ。

tip tap tap

顔を洗い、タオルで水気を拭き取る自分の顔と、目があった。クマがひどく、くたびれた顔だ。少し寝るのが遅くなっただけで、随分調子が悪くなる。30歳という年齢を嫌でも意識するし、30歳以降も坂道を下るようにやってくるのだ、という誰かに言われた言葉を思い出す。

昨日、彼女を追い出した。同い年のわりに頼りなく向こうみずで、仕事をすぐに放り投げる悪い癖がある。家事もいい加減だし、やる気がない。おそらくそのうち催促されるであろう、一緒に選んだ洗濯機や、電子レンジなどの家電はもう一度買えばいいから譲ってもいいが、正直もう顔を合わせたくなかった。

第一向上心がない。明確な目標が皆無だ。ただ甘えて生きようとするずるさがある。僕は、そういう生活を望んでいない。だから仕方なかった。

「真剣に考えてもらってなかったんですね」

娘の話を鵜呑みにした向こうの親から連絡が来たのは、日曜朝の9時だった。休みの日くらいゆっくり寝ていたい僕からすればいい迷惑だし、向こうの主張が僕と噛み合わないのはすでに折り込み済み。どう表現すればいいのかわからないが手垢のついた言葉で表現するなら、住む世界が違ったんだと思う。

30になった娘と1年も付き合っておいて将来のことも考えず適当に放り出して、いい加減な人間だ、というのが向こうの主張。そもそも早く結婚しろと刷り込み教育をしたのはおたくの方針で、僕らの最初の出会いはかなりいい加減だったし、こちらとしては罠に嵌められたという感じですよ、と言ってやりたかった。

おまけにできちゃったかも、産みたいなんて言われて、かなり参った。確かにそこに僕に責任はあるかもしれないけど、子供は欲しくないという僕の意思は最初から一貫して伝えていたはずだ。

「お金は出すから」

慰謝料だのと喚き散らす彼女に、これ以上付き合いたくなくてそれだけ言ってあとは黙っていた。とにかくうるさいしかわいくないし、どうして僕はこんな奴と付き合っていたんだろうと考えているところに、呼んでいたタクシーが来た。適当な金額を持たせて追いやり、やっと就寝できたと思ったら朝から電話。

人の話を聞かない上にほとんど何を言っているかわからないのも、そっくりですね、とも言ってやりたかった。結果、向こうの主張通り僕の年収くらいの慰謝料をふんだくられるが、親をかませて親同士となると埒があかないので、僕の裁量で、月額いくらいくら引かれる程度で突き放せるならそれでいいと思う。

僕はひどい男なのだろう。あれだけ言われたのだからきっとそうだという、妙に確信めいた気持ちがあった。では彼女は?彼女もまたひどい女だ。ヒドイモノ同士良かったのもしれない。かわいそうな人。これから彼女はどうやって生きていくのだろう。また誰かに甘えて、頼って、そうした旧時代の女のような生き方をしていくのだろうか。彼女の母がそうだったように。

tip tap tap

三十路の魂百まで

もちろん検索結果はない。哀れで不幸で、僕が一生のうちに少しだけ関わった他人。変わらない良さと、変われない辛さを学んだ。僕にはどうでもいいことだけど。まだ少しだけ関わらないといけないけど、そのうち、もう、知らない人。さようなら。