創作再開しました。不定期更新です

その笑顔が見たい

息をつく間もなく、次の仕事に取りかかる。古くさいハンコ至上主義にのっとった書類の束は減ることなく、気分と反比例に、山は登りがいのありそうな高さへと日々記録を更新している。この調子で進めると、残業時間の更新も行えそうだ。

そう言いながらも、好きで始めた仕事だし、しんどいと言いながらも長年勤めて成果もそれなりに出ていて、仕事を辞めたいと思ったことはない。不満はあるけど大きな悩みごとまで発展しないから天職なのだろうし、きっと生まれ変わったとしてもまた、この仕事をしているだろう自分が想像できる。

もちろん、長時間労働がよくないとは常々感じているし、妻からの指摘も身に染みてはいる。2ヶ月近く新商品として陳列されている食べ飽きたコンビニおにぎりの封を解きなごら、先日読んだばかりのビジネス書を思い返す。効率の良い、という帯の文字に惹かれ買ったものの、実践して効いた項目はなかった。買った本を片手にこのように改善しようとはしているのだから、頭ごなしの批判ばかりはやめてほしいと、僕は今日もまた言い訳をするのだろう。

どこまで進んでると確認してくる上司の目も睡眠不足で虚ろだ。飲み飽きた栄養剤の瓶が転がり、あくびが絶えない。あくびはうつらないらしいが、空気というか、雰囲気と呼ぶべきかは伝染していくものではないだろうか。形容しきれないよどんだ重苦しいものが一帯に沈んでいる。可視化できるならおそらく先の見えないくらいの黒に覆われたオフィスだと断言できる。これぞブラック企業。いや、そんなマイナス発言はやめておこう。

視線は自然とデスクに貼った子どもの落書きや、写真にいく。少し前まで地面をはいずり回っていたわが子は、今や首もすわりつかまり立ちくらいはするようになってきた。休み時間を狙ってかけてきてくれたテレビ電話では、元気な姿ではしゃいでいて、帰宅が恋しく思われるほどだった。

残念ながらほとんどの場合、帰宅すれば寝入っていて、わずかな物音で目覚めて夜泣きするかもしれないからと、ふすまを開けることも叶わない。僕が会えるのは疲れた顔をしている妻だけだ。

目にクマをこしらえた妻への家族サービスとして、休日は僕なりに子育てに従事するのだが、足りなかったり、妻の意図していた子育てとは違っていたりすることも多いらしい。僕にも妻にもちっとも余裕なんてなくて、子どもの前とわかっていながらつい、きつい口調で言い合いをしてしまう日もある。

結婚に対して、当初思い描いていた通りの希望は潰れてしまったしれない。酒を飲めば後輩たちに、まだまだ独身を謳歌しなさいと肩を叩くし、家庭のグチは言い出せば止まらない。でもなお、家には帰りたくなる。

今は亡き父親も似たような心境になったのだろうか。酒を飲み交わしながら赤ら顔を突き合わせ、尋ねてみたい気もする。

どちらかといえば家庭を顧みない父親だったし、思い出も少ない。家族旅行に行けば気分で行き先変更するし、酔い潰れて帰ってくる姿を見てばかりでお世辞にもかっこいいと思ったことはなかった。顔を合わせると仏頂面で尋ねてくるのは勉強や健康のどちらかだったのは、話題に困った父なりのコミュニケーションだったようだと、今なら推測もできるようになった。そして、母親の小言に耳をふさぎ続けてきた長い反抗期の終わりは、父の死という悲しいきっかけだった。

ようやく終わりが見えだし、視線は部下に頼んだ紙袋にいく。かわいがっている欲目もあるだろうがなかなかに気の利く奴で、妻が好みそうなものを買ってきてくれた。

このままの調子なら、今夜は日付の変わるギリギリには帰れそうだ。どんな顔をするだろうとか、目を輝かせてくれるだろうかとか、期待や不安がよぎる。そろそろ一報を入れておかなければとジャケットを探っていると、

 

「しゃあねぇな。んな、たるんだ顔してたら周りの士気も下がる。帰れ帰れ」

 

優しい上司のありがたいお言葉を頂戴した。礼の言葉もそこそこに足取り軽く踏み出す一歩。思い浮かぶはわが子や妻。家路までの1時間。はやる気持ちに今の一心。

その笑顔が見たい。