あおと「僕」たち
僕の中の「僕」は、いつか振られた男だったり、街中で見かけた「僕」と言いそうな男だったり、何かのドラマや漫画で見たようなありきたりな「僕」だったりします。
そしてそれらは部分的に僕と似通っていて、憎めません。
それぞれの世界があり、「僕」はいつでもその世界でただひとりきり、1回こっきりのご登場です。
あの世界の「僕」と別の世界の「僕」がどこか似ているような気がするのも、全て僕の中を通っているからかもしれません。
彼らを特別印象づけたくない意図もあるのかもしれません。彼らをあなたたちに重ねて共感してほしいのかもしれません。
僕は整理整頓が苦手で、何でも困ったらすぐ捨ててしまいます。僕は2人の僕だけで手いっぱいなのに、頭の中は新しい「僕」のことを考えます。
あと、僕にはこらえ性があまりありません。キャパシティというものが浅いのでしょう。キャパシティとやらはお酒や、別の何かのように、訓練すれば大きくなるらしいです。が、大きくなる訓練も学校のように規則的に受動的でなければ自発的に取り組めません。
非常に忘れっぽいたちでもあります。あらゆることを捨てる、に通づるかもしれません。
覚えていたいことも忘れてしまっていることに気づいたときにはいつも、しょんぼりします。
こんなにも不完全ですから、早くに消え去るつもりだったのが、いよいよ30になります。まだやけど。
人というのはたいそう不思議な生き物ですね。生きようという強い気持ちがなくても生きていけるようです。未練やしたいことがあるから、案外しぶとく生きているのかもしれません。
「僕」は相変わらずうるさく出番をくれと騒ぎますし、かといっていつか出た「僕」なのか、初めましての「僕」なのか、区別がつきませんのでそろそろきちんと呼称を考えてやりたくもなります。
それが親ってものでしょう、なんてこんなときだけ都合のいい親ヅラをします。
なんやかんやと私事でごちゃついてると書けなくなってしまうのですが、こうしてぽちぽち始めてみるとなかなかいいものですね。
イベントに出るのはもう少し未来になりそうですが、根気よくお付き合いくださると幸いです。そいではまた。