あおと創作
やめたり始めたりしているが、僕が最初に創作を始めたのは中学生の頃だ。
当時流行っていた乙一の『君にしか聞こえない』、ハリーポッターシリーズ、『DEATH NOTE』を混ぜ合わせた、現代を舞台にした恋愛小説が、最初に書いた作品。
タイトルを『願いの哲学』という。
これは恐ろしいことに高校の頃出した学内のコンクールで佳作を取り、製本化されてしまって、高校の図書館の片隅に今も眠っている(こっそり処分されてるかもしれない)。
実家にもある。私が存命中は時々思い出して読むと楽しい。
そして中2全開すぎるため痛みを伴う面白さがある。願わくば他人に読まれたくないので、私の死後焼却処分するか、棺桶に入れてほしい。
当時生意気なことに自分のパソコンを持ち、フロッピーディスクやUSBメモリ32MB(当時はまあまあ高価だった)を持ち、色んなものを書いては保存していた。
大学ノートにも随分たくさんの話を書いた。未完のものも多い。
話はそれるが、僕は明治くらいの作家が好きで、テレビで特集されてたら当時からよく見ていた。大人になってからは文学館に行くようになった。テレビでも文学館でも、恋文やら書き損じやら、当事者ならそんなもの掘り起こさないでと思うものまで公開されている。
さて、僕は大変な自信家で、中学3年生の頃、最年少芥川賞が2名という大変刺激的なニュースが話題になった。
恐ろしかった。僕が有名になればあれやこれやの恥ずかしい記録が表沙汰になる。
最年少芥川賞を更新する気まんまんだった僕は、
断捨離癖を加速させた。
過去作に関しては本の状態で残った高校在学中の3作品と、大学在学中の部誌2冊を残すのみ、データや大学ノートに書いたものはすべて処分した。
かつて、文学フリマというイベントに、令和になった初回、出させていただいたのだが、そのとき出した3冊もWordデータ以外は何処かへ霧散してしまった。
しかし、残念ながら僕は、地味で人見知りで、なぜか大変目立ちたがりというややこしい性質を持ち合わせていた。
卒業文集や寄せ書きに恥ずかしいことを書くこと(もちろん当時は恥ずかしいと考えていないから書けた)や、情熱を抑えられず好きな人にお手紙を書くことをやめられなかった。
昔のような謎の自信はもう持ち合わせていないが、もし仮に僕が表舞台に出たら、それはそれは恥ずかしくてたまらないものが世の中に溢れまくるだろう。
今もどこかで生活する、僕を知っているあなたへ。僕が書いてよこしたものは捨ててください。今すぐ。
なんて書いておきながら、今日ものちのち恥ずかしくなる文章を書いてしまう。
何を言う。恥ずかしいもんか。見てほしくて書いてんですよこっちは。
いやでも忘れて、見たら忘れて。
いや、やっぱり覚えててほしいかも。
だって僕、書くの好きだから。つい書いちゃう。書いたら見てほしい。見るだけでいい。
そして、そういや昔、こんな人がいたなって、いつかどこかで思い出して。
そしたら僕、とっても嬉しくて、嬉しすぎて泣けちゃうかも。