創作再開しました。不定期更新です

HEY!

電車に揺られ、夕焼けを眺めていた。
子供連れや、早めの会社帰り、帰宅する、もしくはこれから向かう人たちで、程よく車内は混み合っていた。
席を譲るほどの気概もない僕は、目の前に立つおばさんに目もくれず、携帯を触っている。
腕には、花束を入れた紙袋。
正確に言うならば、一輪の花。
柄にもなく、いや、いつものことか、見栄を張ってしまった。
金銭的な問題もあるのだが、車を持たない僕が、渡すまでに花束を持つこっ恥ずかしさにも負けてしまった。
ふがいない。
「そりゃ、お前。花束だよ。花束に決まってるだろ。嫌いな奴はいないって。無難にそうしとけ。」
数時間前の友人の、助言が頭に反芻する。
かれこれ2年半付き合っている彼女への贈り物。
30を越え、次に付き合う人とは結婚を考えようと思っていた頃、彼女を紹介された。
歳は4つ下。そうは思えないほど若く見え、20歳と言っても通用しそうな顔つきだった。
大げさに驚いたと思ったのか、言われ慣れていたのか、年齢を聞いた僕の反応に、嫌われたとかと思うくらい淡々と、頷かれた。
髪は明るめの黒。染めたことはないという、あまりその辺にはいなさそうな娘だった。
性格は、かなり大ざっぱな方で、生活スタイルの差に愕然とした場面もいくつかあった。
たとえば、と言われると返答に困ってしまう。2年半も一緒にいると、慣れてしまったからだ。
同棲しているわけではないから四六時中一緒ではないけれど、まぁ、なんだ。説明が難しい。
付き合っていると考え方も似てくるとか、そういった類のものだと思う。
そういう彼女と、いよいよ将来的な話をしだし、向こうからも口にはしないが言い出して欲しそうな空気を感じ取った。
彼女はどうか知らないが、我が家では既に、結婚するだろうことを打ち明けてはいる。
うちの両親が、彼女を気に入らないはずがないとも思っている。
ひいき目があったとしても、じゅうぶん可愛い。
問題は、僕だ。
冴えない。年収も、同年代と比べてある方ではない。身長も低い。頼りがいもあるように見えない。
何より、彼女はそれでいいと言ってくれたが、僕には貯金もない。
気に入ってもらえるか以前に、そんな男と会ってくれるだろうか。
会ってもいない彼女の両親に不安が募る。
その前に、彼女は了承してくれるだろうか。いつも言っているのは建前で、断られる可能性もある。
あぁ、だめだ。
言う前からこんなに不安がっていては。
一世一代の大仕事なのだ。今日くらいは威勢よく、前向きに、踏み出さなければ。
彼女との待ち合わせまで、あと30分。そして、数分は遅れるだろうことを見越して、あと1時間。
時計に目をやる。視線を時計から上げ、再び情景は車内に。
アナウンスはいつも通り。時期柄か、最寄りの桜の名所案内が間に流れる。
ふと横へ視線を逸らすと、何故か隣の車両に彼女の姿。
いつも当たり前のように待ち合わせに遅れる彼女が、10分前に着くこの電車に。
動揺を悟られぬよう、自然に見えるように視線を元に戻し、何事もなかったかのように電車に揺られる。
「偶然だね、みっけちゃった」
気づかれた。えっと、こういう時は、いつもどおり自然に、自然に。
落ち着け。僕。
「HEY!」

今夜、君を抱いて。

振り返らずに進む、君の後ろ姿。
月日を感じさせるようで、感じさせない。
好きは、重なりあったときだけ。
僕からは絶対に言わない。言ってやらない。
僕は君を欲しがらない。
君も僕を欲しがらなくなった。
人肌のせい。
ぬくもりのせい。
後ろからぎゅっと力を込めるのも、
眠る君の横で高鳴りが収まらないのも、
ときどき、じっと見られるのに、すぐ「何?」と不機嫌そうな返答をするのも、
全部そのせい。
よく、人から何を考えているのかわからないと言われる僕が、
どうして君に振り回されないといけないのか。
なぜ急に来たのか。
本当に次も来るのか。
どうせ僕だから。
また君はいなくなる。
君は嘘つきだ。
猫のようで、犬のようで、本当にかわいい。
そして、驚くくらい残酷。
君が来たいなら来ればいい。
君が望むなら、僕は君を受け入れる。
決して君に屈するものか。
僕は僕として生きる。
愛も恋もわからない、不器用な僕として。
少しだけ振り絞った勇気は、やっぱり煙に巻かれてしまって、詳細不明。
君の気持ちなんて別に知りたくないけれど、知りたい気持ちもどこかにあるのかもしれない。
ほんの少しだけだろうけど。
ささやかな、嫌がらせ。
丁寧に洗った君の髪。
僕の好きな香りを纏った君が、帰る道中僕を思い出すくらいきつく、香りを染みこませる。
好きなんて言ってやらない。
最中ですら、まともに僕の顔を見ない君なんかに。
どうせ僕なんて、僕のことなんて考えてもないくせに。
上っ面だけの好きなんていらない。
執着なんてしてやるもんか。
なのに、僕は、僕から君をその気にさせるため、あれこれと君に手を尽くす。
抱く君が嘘の君でも、その間だけ騙されたいのかもしれないから。
今夜、君を抱いて。

クスノキ

歯ごたえのない、柔らかなそれは、僕の喉を滑るように通り過ぎた。
記念だからと、大皿に上品に盛り付けられた料理が出てくる。
カタカナで綴られた物珍しいものたち。
美味しいものに歯ごたえはない。
美味しいものに素材の味はあまりない。
美味しいものへの、偏見だろうか。
魚も野菜も肉も、美味しい。
美味しいものになると、甘辛かったり、
煮込まれたり、元が分からなくなる。
僕は馬鹿だ。
1人5000円もかかると、妙な汗と説明しきれない緊張で、脳みそまで脈拍を打つ。
何とか、というものが、また僕の喉を通り過ぎる。
何とかの味を噛みしめる。目で見ても美しい。食べても素晴らしい。
「美味しいね」
「うん」
美味しいものに、言葉はいらない。
贅沢に罪悪感はいらない。
それでも僕は馬鹿だから、つまらぬものに囚われる。
食レポできるんじゃないか、というくらい幸せな顔で食べる真向かいの人は、一口ひとくちを同じように噛みしめながら、ほう、とため息をついた。
くもりなく、まっすぐに僕を見つめ、魅力的な笑顔を見せる。
にんじんのソテーされたのは苦手なんだろう。柔らかなお肉より、付け合わせのタレの味が気に入ったらしい。
君の顔は百面相。
わかりやすい表情で、僕には君のこと、なんでもお見通し。
当てると君が心底驚くから、もっと君を見てしまう。君の思うつぼ。
「北京ダックって、鳥肉みたいで美味しかったね」
帰り際につぶやく君。
君にかかれば何でも特別になる。
君が言えば何でも的を射る。
土にしっかりと足を根ざし、僕を捕らえて離さない。
君は、今日も明日も変わらない。
僕の源。僕の大地。そう、
クスノキ。

流れ星

テレビをつけた。
特に意味はない。
いや、理由ならあった。
当たり前が当たり前ではなくなったから。
物が消え、少しずつ気配も消えていったから。
いた頃、しょっちゅう話していたわけでもない。
それでも、存在の大きさを実感せざるを得ない。
それくらい、音が必要だった。
消せば、静寂が、空間を包む。
僕だけがいた。
黒い画面に、僕の姿が写る。
声はない。
生活音というのだろうか。
今まで気にもしなかった音が聞こえる。
そういえば、あれは君と見に行ったんだった。
これは、君が持って帰ってきたもの。
二人で出掛けた記憶は、あまりなかった。
一人でいると、そんな記憶がよみがえる。
たいしたことをしてあげなかった。
歯磨き粉がなくなり、いつも、いつのまにか増えていたことに気づいた。
歯ブラシもそう。
トイレットペーパーも、ティッシュペーパーも。
言ってくれたらよかったのに。
言わなきゃ伝わらないじゃないか。
これ、買っといたよ。
そんなこと、言わなくても他に話すことだらけだったんだろうけど。
いや、僕らって、そんな饒舌じゃなかったよね。
最初の頃は、無言が怖くて質問攻め。
下らないことまで聞いて、しかも、何度も同じことで、よく君があきれてた。
だんだんと流れができてきて、話もしなくなって、居心地はよかった。
定番ができてきて、外出もありきたり。
考えなくていいことが、楽だった。
君だってきっとそうだと思ってた。
言わないことが心地よく、言わないことですれ違った。
言わなきゃ伝わらない。
言い過ぎても、すれ違う。
連れ添うために最低限必要なこと。
僕らに足りなかったこと。
やり直せないのは、お互いが一番わかっていた。
それでも、離れまいとした。
寂しさが、判断を迷わせた。
久々にご飯いかない?
久々にご飯行かない?
久々にご飯行かない?
言えない台詞を、空に委ねる。
今はもう、消えてしまった。
流れ星。

巻き戻した夏

楽しかったねと振り返ることができたなら、あの夏は終わらなかっただろうか。
いつものように、ごめんねで仲直りできなかった。
ずれだした後はあっけなく過ぎ、
「いらないの、捨てといて」
自分でも驚くくらい事務的な声が出た。
期間は、短くなかった。
思い出もあるし、楽しかった。
未来は切り開けなかった。
変わろうとしなかったし、歩み寄る気もなかった。
久々に見た顔は無表情で、そんな表情もあったんだと思わせた。
そう思うと、しばらく君の顔を見ていなくて、いつから、君の表情を気にしなくなったのか、わからなくなった。
好きだったはずの顔が、まっすぐ見つめられなくなった。
君のいいところはなんだっけ。
当たり前だったものが、消えていく。
喜ばせようと模索していた、あの頃。
泣かれたとき、周りに聞いて回った対策。
終わらせなくないと必死だった。
一緒にいるだけで他に何もいらなかったのに、人は贅沢を覚える。
不満も増えていく。
当たり前は楽しくない。
刺激がほしい。
でも、刺激がほしくないときは放っておいてほしい。
我がままになる。
譲り合わないと。
話し合わないと。
ないと。が増える度に、気持ちが離れていった。
謝罪が癖になった。
喧嘩が増えた。
よりを戻すための、小旅行。
思い出の地をめぐっても、二人はちっとも感傷的にならなかった。
そのとき、確信した。聞こえないようにつぶやく。さよなら、君。そして、
巻き戻した夏。

All my loveing.

「だから、違うってば」
「これでいいの。」
特有の、かくばっても丸まってもない、中途半端な形。
一目見て、他の誰でもないと特定できるくらいだ。
そんな使い方はしない、と言っているのに、言うことなど聞きやしない。
誰に似たんだか、親の顔が見たい。僕だけど。
そういう使い方があることは、僕はもちろん知っている。
しかし、それを試験で書いてはいけないことも知っている。
まだ、教わらない。彼女の習っている英語では。
いや、おそらく、将来的に英語を仕事に使わない限り、もしくは、使っていても知らない人もいるだろう。
シールを組み合わせ複雑に貼り合わせたノートの、中央に書かれた文字。
文字もピンクやら、オレンジやら、入り交じっている。
パール入りやら、熱で膨らむのやら、彼女の筆箱には、色とりどりのペンが入っているから、もはや何色なのか、僕には瞬時にわからない。
それにしても、勉強を教わる以外の用事で父親を捕まえに来る彼女は、ちまたで言う反抗期には当てはめられないだろう。
成績は普通。
特徴もない。
先生からの評価も悪くないらしい。
目立たないんだろう。
友達はいるらしい。
好きなアイドルの話も、時々してくれる。
上手く育てた自信はまるでないけれど、
「夜遅くまで帰ってこない」
「携帯代が高い」
「化粧して派手になって」
なんていう、周りの親の愚痴を聞いていると、平凡な彼女を誇りに思う。
「なに笑ってんの、パパ気持ち悪い」
友達はパパなんて言わないから、そんな呼び方やめる、なんていってたのも、三日坊主に。
気持ち悪いなんていいながらも、洗濯物は一緒でも気にしない。
胸が膨らみかけるまでは、一緒にお風呂も入っていた。
「いや。かわいいなと思ってさ」
「何それ、ウケる」
彼女の書いた文字、僕にも当てはまるかもしれない。
すべての私の愛。それが、彼女。
愛は、とめどなく、継続的。
進行形なんて使わなくても、分かってる。
文法的には正しくない。
それでも、愛は溢れ続けているから、
All my loveing.

私は風になる

好きなものを好きと伝えられないで、嫌いなものを好きと言ううちに、嫌いなものを好きになる。
君の中の私は、甘いものが大好きで、そのなかでもふわふわとしたドーナツが好き。
肉が好きで、こってりとした味付けが好き。
優柔不断で、店に入るとほとんど任せきりで 、何を食べてもおいしいと言う。
いつのまにか造られた私。
いつものパターン、いつもの展開。
いつもが増えると、慣れてくる。
当たり前になる。
感動も少ない。
特別だったことを忘れてしまう。
人は、贅沢になる。
新鮮さを求める。
上書き保存が正義になる。
移り気な私。
他の人と笑う私。
他の人にときめく私。
他の人とキスする私。
本当は魚が好きで、あっさりとしたものが食べたくて、野菜も食べたい。
甘いものはあんまり食べない。
生クリームも、砂糖のかかったパンも、ドーナツなんて一番、食べない。
君の中にいない私。
ずっといたかったけれど、飽きちゃった。
ごめんね、飽きちゃった。
そう言えたら楽なのに、君の傍にもいる私。
たまにはこってりしたのも食べたくなるの。
毎日あっさりだと刺激がほしくなる。
だから、時々つまみ食いする。
今日は会えない。
実家に帰る。
友達と遊びにいく。
そうやって、嘘をつく。
ふらふらと、夜から出歩くこともある。
今日も、そう。
私は風になる。